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 2012/10/18(木)


 映画『ピラミッド 5000年の嘘』を見て



 篠﨑由羅さんがブログでこの映画を推薦されていましたので、見てみました。とっても良かったので、沢山の人に見て頂きたいと思います。


 ただ、この映画では、「超古代文明によってピラミッドが建設された」という結論なのでしょうが、「火星にも同様のピラミッドがある」ようにも言われていますので(映画では触れていません)、ピラミッドを建設した人は、『地球限定の文明ではない』と思います。


 火星のピラミッドのことを検索する中で、この映画に批判的な意見が多いのに気づきました。


 篠﨑由羅さんが『Thrive』の内容について、懸念を示していましたが、この映画についても、本質を見ずに重箱の隅に固執している人が多いのを感じました。


 『ピラミッドを、単なる墓と見るのが適切か・そうでないと見るのが適切か』は議論の余地はないと思います。映画の描き方が乱暴だ・オカルトだと非難するよりも、その仮説の可能性を考えた方が遙かに役に立つと思います。


 ピラミッドの研究家の人の「つぶやき」を引用し、『だからこの映画はオカルトだ!』という論調が多かったのですが、そのような方には『自分で考えた方がよろしいのでは?』と言いたいです。


 物理学においても、全ては『仮説』に過ぎません。ビッグバンに関しても・暗黒物質に関しても、一つの仮説です。


 ビッグバンは宇宙方程式を解く中で出てきたものに過ぎず、『t=0』までは遡れていません。


 暗黒物質についても、『それがないと説明が付かない事が多すぎる』ということから生まれた概念です。まあ、観測されたとか・されないとかいわれていますが・・・。


 科学は単なる仮説です。それも、現時点での人類の仮説です。100万年後の人類にとっては、「過去の誤解」とされていることでしょう。地球誕生より100万年前に生まれた地球に似た星に住まう人達から見たら、「おもしろいねっ」てな感じだと思います。


 『物質で構成されている地球人だけがこの宇宙に存在している。そして、多くを解明し・理解している』と考えるのが、一般的なインテリなのでしょうが、それは間違いなく『誤解』でしょう。


 それを証明することは出来ないでしょうが、一つ言えることは、私たちは決して優れていないという事でしょう。技術的には、自分達の手に余る機器を生み出していますが、それをコントロール出来ない内面性が、私たちの至らなさの証明になると思います。


 武器はどこまでいっても武器であり、『優れた武器』などという表現こそが、そもそも誤りであるということを学ばなければならないでしょう。


 Y軸を「技術的進化」・X軸を「時間」として描いた場合、マヤの9段ピラミッドが示すように、そのサイクルはどんどん短くなっていると言えます。交流電流の発見から、ロケットまでは、たった200年弱です。


 ですが、その「技術的進化」に対して、「精神的進化」が伴っていないため、現代文明は滅ぶと思います。ただし、地球滅亡という意味ではありません。


 人類の進化を描いて来た直線は、2012年末から2013年始めで、X軸である「時間」の流れは静止し、『Z軸方向』に進んで行くのだと思います。


 Z軸に移行することを拒否する人は、今までの時間軸(平面上に描かれるもの)で自分の肉体を消費するまで生き続け、別の星に転生(輪廻を続ける)のだと思います。


 Z軸に進むことを受け入れた人は、別の地球を生きる事になるのだと思います。地球の進化と一緒に進化するのだと思います。その時の「時間の流れ」は現在とは異なり、『時空間』として流れていくことになるのだと思います。


 その次元では、現在の物理法則とは異なる体系を持った物理法則が成り立つのだと思います。


 Z軸に進む方法は、『与えることと受け取ることは同じである』ということを素直に受け取れられる意識のような気がします。『己を愛するが如く汝の隣人を愛せよ』とも同じです。


 以前ブログで、人間関係のパラダイムとして、「win-win」とか「win-lose」とか書きましたが(全部で7つあります)、Z軸へと進む世界では、winやloseという概念さえ存在しなくなるはずです。


 一体であるものの一部が勝ち・一部が負けるなとどいうことは、論理レベルでさえ矛盾する考え方ですし、次なる世界は、論理など「どーでもいい」世界のはずだからです。愛は論理的ではありません。その愛が基本となる世界なのですから、論理など本当に「どーでもいい」ことになると思います。


 この映画を論理的に検証することより、何を感じるかが大切だと思います。成長のための道具として活用すればいいと思います。





 2012/06/01(金)


 映画:セブラーマン「ゼブラシティーの逆襲」を見ました。ちょっとだけいいメッセージがありました。



 セブラーマンの2作目、『ゼブラシティーの逆襲』を見ました。


 この映画を見ようと思ったのは、1作目がよかったからです。1作目がよかった理由は、うだつの上がらない小学校教師が『努力してゼブラーマンになっていく・なる』というストーリーだったからです。


 決めぜりふは『白黒つけるぜ!』でした。最後に侵略者を倒した後に、言う台詞は『白黒つけたぜ!』です。まあ、おもしろかったです。


 しかし、この映画を見たときに、気になったのは、『白黒つける』という考え方でした。


 私は、鬱を煩いました。その時に学んだことに、「鬱病患者の考え方に『白黒思考』というのがある」という事があります。白黒思考とは、『物事を、0か100、どちらかに決めたがる』というものです。


 そして、鬱病患者は、『物事を0に捉え易い』→『完全に失敗だ!』→『死ぬしかない』と考えるのです。


 それですので、ゼブラーマンの『白黒つける』という考え方は、ちょっとクエスチョンでした。


 それを踏まえての2作目ですが、内容的にはひどかったです。しかし、ゼブラーマンの敵役のゼブラクイーンは、とてもよかったです。レディ・ガガのパクリかな?という感じでしたが、そのPV映像はよくできていました。曲もダンスもスタイルも衣装も化粧も、です。


 それ以上によかったのは、ゼブラーマンの最後の台詞です。


 『白黒つかなかったから、まーるく収めたぜ!』です。


 この台詞を吐く前に、ゼブラーマンは世話になった元教え子に、『白黒ついたら、人は幸せになれるんですかね?』と問いかけます。この後、敵を吸収した後(倒すのではなく、己の一部にしたのです)に、最後の台詞を言ったのです。


 客観的な尺度などというものは、この世にはありません。前例を踏襲する司法でさえ揺れます。そんな世の中で、白黒の判断は過渡的なものとなります。その中で、白黒をつけることに固執してしまうと、人は幸せにはなれないと思います。


 犯罪被害者、そしてその家族であっても、白黒つけることに囚われないことが、立ち直る・再出発するための、必要条件だと思います。


 今の時代は、隠れていたものが全て顕わにになろうとしています。そのような環境で、『黒を暴き、黒を裁こう!』という風潮が席巻しています。しかし、それでは幸せにはなれないでしょう。


 『そう言えば、そんな事もあったよね』とか『そう言うこともあるかもね』とか言って、全てを受け入れ、その後で『もう済んだ事だから、今さら何を言っても始まらないじゃんっ。だからこれからどうするかを考えようよっ!』って前を向いていくことが大切だと思います。



 2012/05/22(火)


 映画:20世紀少年を見ました。最後だけがよかった!



 映画『20世紀少年』を見ました。全3部作で、全て見ました。


 1作目を見た時点では、『続きを見るのはどうしようか?』という内容でしたが、『でも、続きが気になる』という事で、2作目を借りてきました。


 2作目は、『これを映画館でやったの?ひどすぎる・・・』という内容でしたが、『でも、続きが気になる』という事で、3作目も借りてきました。


 3作目の途中までは、『これはひどい・・・。ひどすぎる・・・。』、結構我慢が必要でした。


 しかし、最後の15分くらいで『逆転満塁ホームラン』がありました。最後の部分だけで、救われた気がしました。


 ですが、3部作で6時間あまり。トータルで見たなら、ハズレの映画でしょう。レンタルで見るなら、まあOKというところです。


 ちょっとネタバレになるので、これから見ようという方は、続きは読まないでください。


 主人公『ケンジ』と悪の権化である『ともだち』を中心に話は展開します。2作目では、『ケンジ』の姪が中心になりストーリーが展開します。


 姪役の娘は、オーディションで受かったそうですが、演技はダメでした。また、全作通してそうなのですが、日テレの55周年記念で作られた映画だそうなので、『ごった煮』のような作りでした。


 役者も・演技も・脚本も・です。もう少し、整理して作って欲しかったです。


 ただし、原作はいい漫画なんだろうと感じました。


 悪の権化である『ともだち』は、個人のエゴの拡大したものだと思いました。巨悪として描かれていましたが、ともだちと同じ想いは全ての人間の中にあるのだろうと思いました。


 また、正義の味方・英雄として描かれている『ケンジ』が鼻につきました。聖人君子的に描かれすぎていると・・・


 ですが、最後の15分で本当の『いい人』になりました。ケンジが過ちを悔い、かつ、幼いときの『ともだち』に手を差し伸べることで、2人は『20世紀少年』で描かれた未来を修正することになるのです。


 映画では、何度も終末が描かれていますが、現在の世界も終末だと思います。


 これからの世界は、まだ未定ですが、どの宇宙に自分が行くかは、今自分が生き方を選択することで変わるのだと思います。


 パラレルアースのどの地球に行くかは、自分の生き方によるのであり、他力本願的なアセンションでもなく、闇の支配者の失脚による新世界の創造でもないのでしょう。


 全ては、何を選び・何を心地よいと感じ・どう生きるか、に係るのだと思います。


 それを感じられる映画という事では、よい映画だったと言えるでしょう。



 2012/01/22(日)


 映画「Amazing Grace」を見ました。実話です。感動と決意を頂いた気がします。是非、見てください。



 アメージング・グレイスという曲を聴いたことのない方は少ないと思います。教会式の結婚式で歌われたりもしています。一度結婚式で聴いたのですが、「この曲を結婚式で流すのはおかしいのでは?」と感じていました。曲の内容と結婚式が似つかわしくないからです。


 漠然とそのように感じていたのですが、背景などを調べることはありませんでした。先日、ツタヤでこのタイトルの映画を見つけ「誕生秘話」というようなコピーがついていたので、『軽い気持ち』で借りました。しかし、あまりの内容の良さに大泣きしました。


 この曲は元々イギリスに伝わる民謡に、とある方が歌詞を付けたのです。その歌詞が、良く歌われている内容なのです。訳は色々とあるのですが、読める方は英語の歌詞を探して読んでください。


 一部取り上げますと、「Was blind, but now I see」、直訳すると「見えなかったけど今は見える」となります。この部分だけで泣いてしまう人には「辛かったですね。よく頑張りましたね。」と言ってあげたいです。


 この歌詞をつけた「とある人」とは、奴隷貿易船の船長さんだったそうです。彼は、2万人の奴隷を運んだそうです。その罪を痛感した後に、この歌詞が生まれたそうです。


 この映画は、その船長さんとも親交のあった、隷貿易廃止に貢献した『ウィリアム・ウィルバーフォース』さんの半生を描いたものです。


 ウィルバーフォースさんは、砂糖の不買運動などにも働きかけたそうです。「えっ、なんの関係があるの?」と思われる方もいらっしゃると思いますので、ちょっとご説明します。


 砂糖は、奴隷を働かせていたプランテーション農業で生産されていました。その「砂糖」を使用するということは、『その農業を間接的に支持する』ことになるため、『買わないで!』と働きかけたのです。


 アフタヌーンティーの文化のあるイギリスで、砂糖を買わない・使わないという運動は反対にあったそうです。ガンジーは「塩」でその昔は「こしょう」でしたよね・・・


 ガンジーはイギリスの塩の専売制に反対し、『塩の行進』を始めました。『イギリス産の塩を使わずに、自ら塩を作ろう!』という趣旨の行進でした。それがきっかけとなり、インドはイギリスから独立できたのです。


 ちょっと脱線しましたが、砂糖も同じような環境下に置かれていたのです。


 ウィリアム・ウィルバーフォースさんの活動は、『イギリス経済を破綻させるものである』といって、反対・議会否決という結論になります。それと同じくして、体と精神を患い、一線を退く事になります。


 彼と親交のあった女性と再会・結婚する中で、彼は再び政界に復帰します。しかし、以前より『賢くなって』です。元々、彼は優秀ですが、正直すぎました。その彼が、目的のために、ちょっと『ズル』をするのです。しかし、その『ズル』の成果で、イギリスの奴隷貿易は廃止されるのです。


 映画の最後で、「ノブレス・オブリージュ」という言葉を王室の人が嫌みっぽく使っていました。この言葉は、良い意味で使われる時もありますが、悪い使い方もあるようです。


 映画:『Thrive』でも、不買運動や地方銀行の使用を訴えていました。非暴力・不買等の活動が、巨悪に立ち向かう正しいやり方だとこの映画を見て再度感じました。石油を使わない・大資本系の銀行を使わない等が、NWOを進める人を弱らせることのできる私たちの草の根運動なのだと思います。



 コンタクト



 コンタクトを見ました。以前見たときは、大学生でしたので、20年位前になります。


 その時の感想は


  ●何でもっとわかり易い現れ方(異星人)をしてくれないの
  ●なんでそんな権力(ソユースで宇宙ステーションに行ける民間人)を持っている人がいるの
  ●何でキリスト教狂信者が出てくるの


でした。


 ですが、今は、それら全てに納得がいくようになりました。成長したんだなぁと思いました。


 ストーリーは、ジョディ・フォスター扮する無神論者の宇宙物理学者が異星人とコンタクトするまでを描く、というものです。原作は、カール・セーガンの小説だそうです。


 ハデンという絶対権力者が出てくるのですが、まるで、ロックフェラーのようです。前見たときは、そんな人がいるとはしりませんでしたが・・・


 異星人とコンタクトする宇宙飛行士を選ぶ条件に『神を信じるか』という問いがあったのを、以前見たときは不思議に感じたのを、見ていて思い出しました。


 また、宇宙人とのコンタクトを神への冒涜だとして、テロに走るキリスト教信者がいるのも不思議でした。


 ですが、両者とも今となっては、とても自然に感じます。


 『地球人は、アヌンナキによって作られたのもであり、シュメール文化に現れる神は、アヌンナキである』という説もあります。そんなことも、思い起こさせた映画でした。



 イップ・マン



 ブルースリーの師匠であった人の半生を描いたものです。その師匠がイップ・マンです。


 イップマンは、裕福な家柄に育ち、弟子を取らず、自らの拳のみを磨くことのみに精進していました。


 その後、日本軍の占領下に入り、極貧の生活を送ることとなります。


 日本軍の空手家と戦うこととなり、その戦いに圧倒的な強さをもって勝ちます。そのことを不満に思った空手家の部下に撃たれるのですが、命はたすかるのです。


 その後、香港に移住し、自分の拳法を広め、その弟子の一人にブルースリーがいたという終わり方でした。


 日本による日本軍の自虐的な表現は、ちょっと嫌でした。それと、極真を習っている自分としては、空手が中国拳法に負けるのも嫌でした。


 イップ・マン自身を義人のごとく描いていましたが、それも気に入りませんでした。彼が、中国人のために戦うということが是として描かれていましたが、その思いはコミュニタリアニズムに過ぎないと思いました。


 コミュニタリアニズムは「善」ではありません。サンデルはそれを称賛していますが、コミュニタリアニズムは「愛したいものを愛する」という考えであり、そんなことはマフィアでもしています。


 私は、格闘技を学んでいますが、それは、武士が剣術の稽古をするのは刀を抜かない精神力を身につけるためということを学んだこととグレイシーの無敗の法則を読んだからでした。


 ヒクソンの強さは絶対だと思いますが、打撃のない格闘技は不十分だと思い、極真もやっています。そんなつながりで、イップ・マンを見たのですが、まあ娯楽作品ですね。


 ENRON



 この映画はドキュメンタリーです。アメリカのエネルギー供給会社があくどいことをやって儲け、挙げ句の果てに破綻した、というものです。


 サブプライム問題でも一番権力のあったゴールドマンサックスは財務省を操作して破綻しませんでした。しかし、その下であくどいことをしていた銀行は破綻してしまいました。


 エンロンが破綻したのは、2001年位だったそうですので、9・11とダブります。


 アメリカは本当にあくどいことだけをやって回っている国だなぁと感じました。



 ANVIL



 この映画は、『ANVIL』というへヴィメタルバンドを描いたドキュメンタリーです。


 彼らは、30年もバンドを続けています。80年代に一度人気を博しましたが、そのまま消えていったバンドです。80年代には、来日も果たし、日本のロックフェスで有名なバンドと共演も果たしています。


 現在は、日々、別の仕事をしながら、バンドを続けている姿が描かれていました。


 『好きなことをやり続けることの大切さ』を教えてくれる映画でした。


 ボーカルの『リップス』の歌唱力は、あまり感じられませんでした。イアン・ギラン、ロバートプラント、オージー・オズボーンのような魅力はありません。バンドとしてのまとまりは感じましたが・・・


 そんな彼らが、30年ぶりに来日しました。幕張メッセでのロックフェスでオープニングを飾っていました。


 サクラかもしれませんが、多数のファンに迎えられていました。


 バンドとしては、成功しなかったかもしれませんが、30年もバンドを続けているのは、ローリング・ストーンズとザ・フーくらいだそうです。


 彼らは、幸福なのだと思います。誰もが好きなことをやって生きていくべきだと思います。『懲役』のような『仕事』をこなすために、私たちは『生きているのではない』のですから。


 インセプション

主演:レオナルド・ディカプリオ

夢の中で、夢を見ると言う映画。その夢の中で潜在意識に特定のアイディアを埋め込むというもの。

ディカプリオは産業スパイ的に、相手の夢の中に入り込み、情報を盗むということをやっていたが、依頼先から「特定の相手に、情報を埋め込んで(インセプション)欲しい。」という新たな依頼を受ける。

現実と夢、どっちが本物?

という点では「MATRIX」と同じであるが、こちらは「階層構造」になっている。その点で画期的な「アイディア」だと思う。

人間の最も優れた能力は「創造性」である。この映画を考えた人の創造性はとても高いと思われる。

今、私たちは現実を生きていると思っているが、形而上学的にみるならば「仮想現実」なのかもしれない。

それは、現実という夢から醒めなければわからないことであろう。

それは、死によってもたらされるのかもしれないが、生きながら目覚めることも可能だと思う。

もし生きながら目覚めたとしたら、その人は、「覚者」か「狂人」かどちらかの「称号」を与えられることになるであろう。

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