2012年5月

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 2012/05/01(火)


 『我慢の対価が給与である』という考え方について・・・



 『我慢の対価が給与である』(表現は違いますが)ということを、以前、鬱の主治医から言われました。


 この考え方は、ポジティブなものではありませんが、活用できる場面もあります。


 『自殺してもいいけど、おまえらを育てるためにかかった金は返してから死ね!』ということを、中学時代の先生が言いました。世で、中学生の自殺が問題になり始めていた時の事です。


 この発言も、本質からの改善を促すものでありませんが、人によっては効果があると思います。実際、私も『その通りだ・・・。お金は返してから死のう・・・。』と自殺するのを思いとどまりましたので・・・


 冒頭の言葉も、『仕事に行きたくない!』と心底思っている人には利用可能でしょう。


 低賃金の長時間労働を強いられている人や、不本意な環境で仕事をしている人にとっては、『精一杯やることが大切だよ!頑張っていればいつかはよくなるよ!悪く考えてはダメだよ!』というような励ましより、冒頭の言葉の方が響くかもしれません。


 仕事は本来、自己実現の手段であるはずですが、そうなっていないケースの方が多いでしょう。そのような人に対して『頑張れ!兎に角、ポジティブに考えることが大切だよ!』と言っても、『無理っ!』っていう方もいるはずです。


 私も冒頭の言葉を主治医に言われたとき、『それは生産的な考え方だとは思えないけど・・・』と鬱の思考の中でも思いました。しかし、『実際、休まず通う事が鬱から脱却するには必要だよな・・・。それには、役に立つ考え方かも・・・。』と思い、死ぬ思いでこの言葉を唱えながら出勤した時期があります。


 その頃は、朝食を食べた後、すぐまた布団に入りました。目覚めていると、『行きたくない』とか『生きたくない』とか考え始めてしまうからです。睡眠薬の影響が残っていましたので、布団に入れば直ぐまた眠れました。そして、遅刻直前に妻に起こしてもらい、ふらふらの状態で出勤しました。


 意識が定まっていない状態だったため、意識がはっきりしている状態での出勤よりは、楽だったような記憶が残っています。出勤したら出勤したで、回りの空気を読み生活してしまうという鬱病患者に多い生来の性格のため、その日一日は何とか過ごすことができました。


 そのおかげで今は社会復帰を果たせています。しかし、環境が一変したためと、今年の3月頃から続く体調不良のために、出勤したくないという思いに囚われてしまう日もあります。そんな日は、『我慢の対価が給与である』と唱えて出勤します。


 ♪なんとか持ちこたえ 答え探して やがてくる死をただ待つより 少しでも夢を叶えるために 皆 四苦八苦♪ by Doragon Ash 日はまたのぼりくりかえす より


 この曲の『なんとか持ちこたえ』という部分が、とても好きです。自分の人生は、いつも崖っぷちでした。生と死、社会と非社会、平和と争い、愛と欲・・・等々、兎に角、境界性の向こう側とこっち側を行ったり来たりしながら、生きてきた気がします。


 今後も境界線近郊をうろつきながら生きていくのでしょうが、なんとか持ちこたえられるようにと思います。その先にあるものは、『行けばわかる』(by一休)のだと思います。



 2012/05/12(土)


今、『奇跡講座 ワークブック』を実践しています。



 今、『奇跡講座 ワークブック』を実践しています。奇跡講座とは、『A Course in Miracles』の和名です。通常は、ACIMと訳されます。


 ACIMは、三部構成になっておりまして、①テキスト、②ワークブック、③教師用テキスト、からなっています。


 日本でも、テキストは発売されておりますが、米国のACIMを発行している財団からは承認されていません。日本においては、ワークブックは別の出版社から発売されていまして、その財団から承認されています。今年中にその出版社から正式版が出版されるようです。教師用テキストは出版のめどは立っていないと認識しています。


 ところで、ACIMと言っても、ご存じない方が多いと思いますので、簡単にご説明します。


 ACIMは、イエス・キリストからのインスピレーションを、とある無神論者の精神科医が受け、それを書き残したものとされています。


 このようなものであるため、一般的なクリスチャンは受け入れられない内容だと思います。しかし、私はこの内容はイエスからのメッセージであると思っています。


 私は、正式版でないテキストも読み進めていますが、8割位進んだところで、止まっています。理由は、『和訳が良くない』と『理解するだけでは意味はない』と思った2点からです。それなので、今、実践用のワークブックを行なっています。


 平易な言葉で表されていますが、とても内容も濃く、かつ、実践も難しいですが、とても良い精神の訓練となっています。


 現在は、外面的にも混沌としており、なおかつそれらを伝える情報も錯綜しています。一般マスコミ鵜呑み派・陰謀論者・アセンション信奉者・スピリチュアリスト等、その人の立ち位置により、情報の受け取り方も様々だと思います。


 誰があっていて・誰が間違っているかは、最終的な結果が出るまで言えないでしょう。しかし、最終的な結果は、私たちが現状をどのように捉えるかで、変化すると思います。


 それだので、私は世界を正確に見たいと想い、奇跡講座を行なっています。この講座を進めることで、イエスの心眼(ヴィジョン)で世界を解釈することができるようになるのだと思っています。


 そのヴィジョンにより、世界を再創造していくことが、私たちが選択すべき選択肢なのだと思います。


 世界の出来事は、私たちの意識の総意により具現化するのだと思います。もちろんその外の世界からの手助けもあるでしょうが、私たちが望まない限り外の世界からも、必要以上には干渉できないはずです。なせなら、私たちも尊重されるべき創造主の一人ひとりだと思うからです。


 ネガティブに陥らず、創造の最先端を進むことには、困難が付きまとうでしょうが、それでも気づいた人から、その道を進むべきだと思います。



 2012/05/21(月)


 今日は金環日食でした。新たなスタートのような気がします。



 私は、今年の2月くらいから体調がすぐれませんでした。それ以降、精神的にも落ちていきました。


 4月に環境が変わり、困惑しました。ゴールデンウィーク明けには、鬱の状態が悪くなり、仕事をお休みしました。


 しかし、それから復活し、今は『幸せ』に包まれています。『奇跡講座』の影響も大きいと思います。


 今日は金環日食でした。新たなスタートのような気がしています。


 それは、個人的なものだけではなく、世界的にも『変容の時』を迎えているような気がしています。


 『2012年』で一つのサイクルが終わり、次のサイクルに入るのだと思います。


 だからといって、全ての人に同様に変容が訪れるのではないのかもしれません。準備のできた人から、次のサイクルに移行するのだと思います。


 太陽が4極化しています。地球もその影響を受けるでしょう。地震や異常気象もその現れかもしれません。


 ユーロが崩壊し、それをきっかけに世界経済も崩壊するかもしれません。


 新たなテロ(陰謀)が起こされるかもしれません。


 しかし、どの兆候も『終わり』を告げるものではなく、新たな『始まり』の現れだと思います。


 古いシステムや概念に囚われることなく、『今を感じ・今を生きる』事がより大切なサイクルに入っていくのだと思います。


 新たなサイクルでは、現在のような「組織」や「システム」を基にした世界ではなくなるのだと思います。


 個人個人が自らを認め、そのようにして独立した個々人が他者を尊重する事によって、世界が形成されていくのだと思います。


 金太郎飴を切ったような人間ばかりの世界ではなく、多様性を尊ぶ世界が生み出されていくのだと思います。


 そのような世界では、指導者はいません。己が己の指導者になるのだと思います。しかし、己が己の指導者になるには、心眼を開く必要があると思います。


 心眼とは、キリスト意識で物事を見る事です。キリスト意識に目覚めたなら、全ては必然だと思えるはずです。そして、全てを感謝して受け入れられるようになるのだと思います。


 それを目指して生きていきたいと思います。



 2012/05/28(月)


 私たち自身が自分の見ている世界を作り上げたのだと思います。



 私たちは、それぞれ・各々の人生を歩んでいます。能動的に歩む人もいるし、受動的な人もいます。どちらの人も、色々な環境や人々の影響を受けながら、己の人生を歩んでいます。


 『本当に幸せだ!』という人から、『何で俺の人生がこんなことになっちまったんだ!』という方までいらっしゃると思います。


 ただ、どちらの人生であったとしても、あなたがあなたの人生を作り上げた事には変わりはないと思います。


 『望んでこんな人生を歩んだんじゃない!』と憤る方もいると思いますが、それでもあなたの人生は、あなたが形作ったのです。それを認めない限り、前進はありません。


 陰謀論者は、「闇の支配者が世界をこんなにしてしまった」というかもしれませんが、それでも『あなたの極近い環境』はあなたが決定したのです。また、その環境を『どのように捉えたか』は、あなた以外に決定した人はいません。


 環境を『どのように捉えるか』は全人格的な行為です。そして『どのように捉えるか』とは、知識・経験を元に、あなたの価値観が、意識の中で結実した内容を意味していると言えるでしょう。


 究極的にいえば、環境はあなたの意識に何の影響も与えられない事になると思います。あなたが、全てを幸いとして受け入れられれば、環境は何の関係もないということになるでしょう。


 それが、『キリスト意識によるビジョン』と言えると思います。そのビジョンを自分のものにする事が、この現実世界が存在する意味であり、生きることの目的だと思います。



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