2012年3月

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 2012/03/28(水)


 「天は自ら助くる者を助く(てんはみずからたすくるものをたすく)」について考えて見たいと思います。



 「天は自ら助くる者を助く(てんはみずからたすくるものをたすく)」について考えて見たいと思います。


 ググってみるとこの言葉は聖書の言葉であると思われている方が多いとのことです。ですが、聖書の言葉ではありません。もともとは、イソップ童話だと言う説もあるそうですが、有名になったのはサミュエル・スマイルズの著作からです。


 ググってみて気になったのは、この言葉は『キリストの教えに背くものである』ということを宣っているクリスチャンが多かったことです。その中の一人は『人事を尽くして天命を待つ』も否定していました。以下引用----


■ 天命を信じて人事を尽くせ

 これは間違った考えであるばかりではなく、神様を悲しませる罪でもあります。家を離れて自分で生きていこうとした放蕩息子の為に、父親はどれほど心を痛めて悲しまれたかを思い出してください(ルカ15:11-)。ほんの少しでも神様を離れてひとり立ちしようとすることは、あなたを片時も忘れることなく愛し給う神様を深く悲しませる罪なのです。


引用終わり


 私はこのクリスチャンの考え方は、ちょっと『問題あり』だと思います。ただ、私の考え方も世間一般の捉え方とは違いますので、ちょっとご説明したいと思います。


 「天は自ら助くる者を助く」をこの世的に解釈すると、『努力は報われる』とか『頑張れば何とかなる』ということだと思います。しかし、この考え方も間違っていると思います。


 ここで取り上げた2つの考え方を合わせたものが『真実』なのだと思います。


 天(神でも可)は常に我々全てに対して、助けを差し伸べているのだと思います。しかし、私たちが常にそれを受け取ることを拒否しているため受け取れないのが、真実だと思います。


 以前のブログで『我々は根底の部分でつながっている』という記事を書きましたが、これと同じ事が、ここで引用している言葉についても当てはまると思います。


 すなわち『私たちが至高の意識とつながっているなら、全ての環境は全体として常にベストな状態である。ただし、至高の存在とつながるためには、個人の意識を至高の意識と同期できるようにチューニングすることが必要である。同期の責任のみ、個人の責任である。同期するとは、エゴ本意の考え方ではなく、本来の自己意識から考えるようにすることを言う。』と言えると思います。


 普通の人は、望まない事が起こったときに『何で俺がこんな目に遭わなければならないんだ!』といって天を恨みます。また、信仰者は『神よ我をお救いください、憐れんでください!』といって神にすがります。


 どのように天や神につばを吐いたとしても、天や神はそんな事を、微塵も気にしません(完全無欠なので。ただつばを吐いた事への因縁果報はあると思いますが・・・)。また、どんなに神にすがろうと・・・


 『差し伸べた手をつかんでくれなければ助けられないよ!つかんでくれないので、今はおぶって歩いているけど、それではあなたに与えた無限の創造性が発揮できないよ!全ては自己実現のための万全の環境なんだから、元気になって自分で歩んでよ!』


って言われると思います。


 これが、ここに引用した『天は自ら助くる者を助く』の真意だと思います。辛い時こそ、意識の改革をするチャンスだと思います。ゆでガエルの環境では、意識の改革は起こることなく死に至ることになりますが、ゆでられている鍋に差し水をされたら、ゆでカエルもゆでられていることに気がつくでしょう。


 人生の中での差し水(辛い出来事・逆境) こそが、気づき・変革のチャンスなのだと思います。バンジージャンプは、リアクション芸人のバツゲームにもなりますが、アトラクションとして楽しむ人もいます。過酷なできことも冒険として捉える事が出来れば、『もうOK!』なのだと思います。


 この一ヶ月あまり更新出来ないでいましたが、それは私自身が霊肉ともに辛い環境にいたからでした。しかし、それを何とかしようともがいていたら、何とかなりました。このブログも一助となりました。


 このブログは誰かの気づきのきっかけになればと思い書いていますが、更新できていない時期に、過去の記事を読み返してみました。自分で自分の記事に涙しました。励まされました。このブログを書くときは、ネガティブの伝播がなされないように気を付けていましたので、過去の記事をよむことで現在のネガティブな感情を転換してくれました。


 『情けは人の為ならず』という諺も、今日取り上げた『天は自ら助くる者を助く』という言葉と一緒に、昨日、より深く実感させて頂けました。その時に、至高の存在(その一部が自分)が、全ての環境を整えてくれていた(その一部を自分が整えていた)という事を悟りました。「天は自ら助くる者を助く」です!



 2012/03/22(木)


 人の苦しみはわからない方が幸せか・・・



 『♪世界中が人ごとなら、傷つかずに過ごせるけど、こころごと生きてゆきたくて、楽園のDoorから一人♪』


 これは南野陽子さんが歌われた『楽園のDoor』という曲の一節です。私はクリスチャンではありませんが、イエスを信じています。しかし、聖書の大部分は『捏造である』ということも知っています。聖書の捏造については、田川健三さんの「イエスという男」を読んで頂くとわかりやすいと思います。


 イエスが「悟り」を開いていたのは明らかでしょう。悟りという言葉は、仏教用語ですが、イエスや仏陀を『宗教』という枠で語るのは『冒涜』だと思います。もちろん、どんなに私たちが、彼らを冒涜したとしても、冒涜さえできないでしょう。彼らは、至高の存在と一体となっていたのであり、傷つける事さえできない存在でしょうから。肉体は傷つけられますが・・・


 イエスも釈迦も、一人であるなら『永遠に幸せ』で居られたはずです。ですが、彼らは、その安住の世界から『Door』を開け、衆生を救う為に『この世界に降りたってくれた』のだと思います。しかし、彼らも最初から、完璧ではなかったのです。


 釈迦については、出家・苦行等の逸話がのこっていますので確認しやすいのですが、イエスの場合はよくわかりません。聖書は捏造されていますので、イエスの出生時・幼少期の逸話は矛盾しています。これに解答を与えてくれているのは、ルドルフ・シュタイナーの書籍群ですが、常人には受け容れられない内容です。ですが、それを読むと、最初から『完璧』ではなかったことがわかります。


 彼らは間違いなく人生の教師でしょう。私たちは、彼らを手本として生きるべきだと思います。それが最終的に『完全な宇宙』につながるのでしょう。ですが、辛い時、道を外れたくなるときもあります。


『私が楽園のDoorの内側にいた場合、あえて傷つくのを覚悟で、外に出る必要があるのだろうか?そもそも、楽園のDoorの内側にいないのかも知れないし・・・』


『私は「善をなそう」と思っているが、楽園のDoorの外側にいる者(イエスの喩え話の盲目者)が、同じ外側にいる者(盲目者)を導くことは、宗教の過ちを繰り返すことになってしまう・・・。それだので、かえって善くないことかも・・・。それならいっそのこと何もしない方がいいのではないだろうか・・・』


『そもそも、傷つく「こころ」があるため傷つくので、傷つかないために「こころ」を捨てたほうが楽ではないか?修羅として、エゴの固まりとして、悪として生きた方が楽ではないか・・・。そもそもこの世は悪なのだから・・・』


等々、いろいろな考えが頭をもたげます。


 私たちは、善悪を併せ持つ存在であり、そもそも『善悪は決定し得ない』内容なのかも知れません。少なくとも形而下の哲学では、善悪は決定できません。その辺のお話しは、サンデル先生の「ハーバード白熱教室」をご覧ください。


 陰謀論やアセンション信者の中では、『ディスクロージャーが起こり、善が悪を凌駕し始めた』と言われていますが、『巨悪はこの世のカルマを精算する為に、あえて悪役を買って出て生まれてくれた』と考える事も可能です。仏教の『因縁果報』が真理であるなら、巨悪が単独で巨悪になることはできないはずです。


 また、ルシファーが神の座を求め、堕天使になったのだとしても、彼は彼の自己実現を成しただけで、神は彼とて『放蕩息子』として最後には酒宴を開いて迎え入れるはずです。アセンション時に「悪は消滅させられる」という説もありますが、それは『愛』ではないため、どこか別の次元で別の生命として転生するはずです。


 昔、『人造人間キカイダー』という番組がありました。哲学的で好きでした。キカイダーには『良心回路』があるのですが、『不完全』なため、悪からの呼びかけで悪のこころが目覚めることがあるのです。


 ♪ピーピピローロ、ピーローロー(笛の音)
 『ダークに生まれしものは、ダークに帰れ~(悪の権化のセリフ)』


 最終回だと思いますが、キカイダーは良心と悪のこころとの葛藤で、回路がショートして壊れてしまうのです。こころでは善をなそうとしているのですが、が愛するものを傷つけようとするところで、壊れてしまうのです(今から思えば、自発的に壊れたのかも知れません)。パウロの吐露と同じです。(ただ、色々な書物によるとパウロの発言は完全には信用できないそうですが・・・)


 私たちは、この『不完全なキカイダー』と同じなのだと思います。善悪の中で、揺れ動きながら、生きていく存在なのだと。


 善悪は客観的には判断できないのだと思います。自分の良心が善だと捉えたものが、その時点での善であり、『かりそめの善』です。ですが、私たちは、たとえ『かりそめ』でも善を求めるべきなのだと思います。


 私たちは、『内に深く入っていくと安住の地に行ける』のだと思います。この記事の中では『楽園』です。イエスの説いた『天国』です。自分の中に『天国』なくして、善をなそうとしても、それはムリなのだと思います。


 安住の地に行く方法は、人それぞれだと思うので、一概には言えないと思いますが、その地に行けたときに感じた善を延長していくことが、その時点でその人ができる『最高善』なのだと思います。悪でしかない存在が、精一杯の力を出して行った善であるなら、喩え究極的にはであったとしても、『必要悪』として処理されるはずです。


 あきらめない限り、『失敗は次への経験になるだけ』だと思います。昨日の善は、今日の悪なのかもしれませんが、それも『創造の一環』なのだと思います。


 人の苦しみはわからない方が楽であることは確かでしょう。でも、それだと『電源をOFF』にした方が良いでしょう。ですが、私たちには『電源をOFF』にする権利だけは与えられていないのだと思います(リセットする権利やその他の自由は全て与えられているのでしょうが)。


 なぜなら、私たちも不純物だらけですが、『至高の存在』と一体であるため、その一部だけをOFFにすることは『原理的にできない』のだと思います。


「実在するものは存在を脅かされることはありません。非実在なるものは存在しません。ここに「神」の安らぎがあります。」と奇跡のコースにあります。この言葉を、この記事での言葉で言い換えると次のようになります。


『実在するものは、電源をOFFにされることも・OFFにすることもできません。堕天使は今は存在しますが、悪魔や純粋悪は非存在なため、存在しません。堕天使は放蕩息子として最後に創造神の元に返ります。その時、究極の安らぎとなり、次の創造へとつながります。』



 2012/03/08(木)


 あなたは目標を立てますか?でも、それは苦しくないですか、でもワクワクするならイイです!



 今の世の中は、何かというと『目標』を立てたがります。そして、それを実現するための『ロードマップ』を作り、各『マイルストーン』毎の『数値目標』を立てます。目標実現のためには、合理的な手法です。


 しかし、これは『目標実現』のためには良い手法ですが、『目的実現』のためにも有効かはちょっと疑問?です。


 ここで。『目標』と『目的』という言葉が出てきました。この2つの言葉は、明確に区別されずに使われていますが、本質的には大きく異なります。以下、具体例を挙げてご説明します。


 あなたは音楽が好きだとします。『いい音で聞きたい!』という強い願望も持っているとします。いい音で聞きたいを実現するために、いいコンポを買おうとします。そのために、残業を頑張りお金を儲けたとします。念願かなって、希望のコンポが買えたとします・・・・。


 当面は、その音に満足していますが、周りの人の意見や、更なる音質の向上を願い、もっといいコンポを欲しがるようになったとします。そのために、さらに残業を頑張るようになったとします。そのため、今持っているコンポでさえ、音楽を聴く時間が持てなくなってしまいます。


 この時、この人は、当初の願望であった『いい音で聞きたい!』を、結果的に実現していないことになります。音楽を聴く時間さえ持てなくなったのですから・・・。


 『いい音で聞くために良いコンポを揃える』というのは目標です。では、この時の目的はなんでしょうか?


 多分高い確率で、『いい音楽を聴いて、気持ちよくなる・感動する』が目的のはずです。


 まとめると
(手段:『コンポを買うためのお金を残業をして儲ける』)
 目標:『いい音で聞くために良いコンポを揃える』
 目的:『いい音楽を聴いて、気持ちよくなる・感動する』
 です。


 目標と目的の取り間違いは、その他でもよく見受けられます。例えば『勉強』です。勉強の目的は、『多くを知ることにより、より善く生きられるようになるため』のはずです。しかし、多くの人の目的は、『高い学歴をとり、安定した職に就き、幸せな生活を送る』です。(正確に言うと、目標が『高い学歴をとり、安定した職に就く』で、目的は『幸せな生活を送ること』です。)


 しかし、後者は『幻想』です。今のご時世、偏差値の高い大学を出たとしても、高収入が保証されてはいません。かつ、『高収入=幸せな生活』も幻想です。


 大切なのは、『あなたが何を目的として存在するか』だと思います。ちょっと変な感じの質問ですが、あなたならどのようにお答えになりますか?


 わたしなら、『豊かさを感じながら、愛・平和・喜びを延長していくために存在する』と答えたいです。


 先の例で言えば、いい音楽を楽しむために、いい音を求め、音への餓鬼になってしまったら、豊かに音楽を楽しむ事は出来ない事になります。音楽の目的は、豊かな状態に浸るためであるはずなのに・・・。


 食べ物は体を作る上で大切なものですが、それを気にしすぎるあまり「LDLコレステロールを下げるために、○○を食べてはいけない。数値を下げるのに○○が良いらしいので食べる。」などを繰り返す人は、精神的に健全ではありません。『感謝して食べ、家族と食べられる時は笑顔で、なおかつ、適度な運動を楽しめる範囲で行っている』のであれば、血液検査の結果など気にする必要はありません。


 喩えそれが原因で早死にしたとしても、あなたは幸せだったのだから良いじゃない!と言いたいと思います。言われなくても、本人が一番自覚しているはずでが・・・。


 このブログでも、フランクリン・コーヴィーのマネージメント等のページは何故がアクセスが多いです。多分、目標管理信者が多いためだと思います。


 これら目標管理信者が求めるのは、『効率よくDoし、より多くをhaveする』事です。昨日のブログでも書きましたが、Doでもhaveでもなく、beが大切だと思います。あなたが望むbeを選択するには、過去を悔やみ・未来を心配するのではなく、今にあることにつきると思います。



 2012/03/07(水)


 我々は根底の部分でつながっている



 私たちは、根底の部分でつながっているのだと思います。無意識の部分でつながっていると言ったのはユングです。しかし、私たちは神の一部でもあると考えられるので、至高意識としてもつながっている、と思います。


 このブログは篠崎由羅さん(YOU are EARTH)への返信ブログともなっておりますので、元記事を読んでからお読みいただくと、よりご理解いただけると思います。


 まず、一般的な意識の捉え方について図示してみます。


画像の説明


 夢を見ている状態やエゴから完全に自由になっている時、各自我は「集合的無意識」「至高意識」につながるのかも知れませんが、顕在エゴ意識状態では各自我は『分離』していると捉えられます。


 しかし、「集合的無意識」「至高意識」を通して、各自我が交流できる一例として、科学的な「発見・ひらめき」が同時期に複数の場所で起こることがあげられると思います。


 エックハルト・トールさんによると、私たちは「無意識状態」で生きているのだそうです。無意識状態とは、意識より『エゴ』が優位に立っている状態です。


 この辺は、長くなるので「Power of NOW」をお読みください。邦訳は「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」です。


 『エゴ』から自由になったとき、無意識ではなく、意識的に生きられるようになった時の、各自我と至高意識の関係を図示すると以下の様になるとおもいます。


画像の説明


 この状態が「アセンション後の世界」なのかも知れません。外的な変化を追うのではなく、自己意識の覚醒を目指すべきなのでしょう。


 そのために必要な事は、「今にある」ということなのだと思います。過去や未来に囚われるのではなく、今にあることが大切なのでしょう。


 以前のブログにも書いたと思いますが、生き方には「be」「Do」「have」があると思います。


 多くの人は、何かを持つためにhave、何かをするDo、というケースが多いと思います。ですが、それ以上に大切なのは、あなたがどうあるか、すなわち『be』です。


 大いなる存在は『Being』と名乗り・呼ばれます。あってあるものであり、時間軸のない世界に住まっています。永遠と言わなかったのは、永遠だと「無限に続く」というニュアンスが入ってしまうからです。この表現は時間軸を必要とします。


 そうではなく、時間軸のない世界に存在しているのです。2012年12月21日にマヤ暦が終わっているのは、時間軸が消滅することを意味しているのだと思います。


 意識が覚醒し、『エゴ』のない意識状態に人類は変容していくのでしょう。


 『隠れているものであらわにならないものはない』とイエスはいわれました。今、ディスクロージャーされているものは、この変化の表れなのだと思います。


 それらを観察してもよいのですが、囚われてはなりません。囚われ、不安や恐怖を抱くと、至高意識とはもっと遠くなってしまいます。


 安心していつでも死ねる覚悟で今にある、が一番いい生き方だと思います。



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