2011年7月

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 2011/07/29(金)


 イチローの数値目標を立てないという姿勢から分かること。



 イチローの数値目標を立てないという姿勢から分かることを書いてみたいと思います。


 イチローは数値目標を立てないということで有名です。多くの記者はそのことをわきまえてインタビューするそうですが、駆け出しの女性の記者がそのことを認識しておらず、シーズン開幕時にしつこく数値目標を聞いたそうです。


 最初は、穏和に接していたイチローだったそうですが、最後の方は怒ったように「その質問には答えません」と言ったと記憶しております。


 皆さんは生活の中で数値目標を立てると思います。そして、それは素晴らしい事であるかの如く思っていると思います。


 私には娘がおりますが、夏休みに入るにあたり、学校から夏休みの学習計画=数値目標を立て、それを事前に担任に評価してもらうという作業がありました。


 娘はこの指導を真面目に受け止め。「○○の教科は、一日に×ページやらなくては・・・。△△の教科は、□ページやらなくては・・・。」等々、細かく予定表を立てていました。


 「そんな予定どおりに行くわけないでしょ?適当に書いとけば?」とチャチャを入れる父親を尻目に、「先生に再提出をくらうんだよぉ!」と言いながら、セッセと予定を立てていました。


 そもそも、勉強とは誰かに言われてやるものではないと思っておりますので、「やりたくなければやんなくていいよ~」と指導しておりますが、聞き入れようとはしません。良い意味でも悪い意味でも、真面目なんです・・・


 この学校の指導は紛れもなく数値目標です。それも悪い意味でのです。学習で大切なのはやった量ではなく、身につけた量であるはずです。結果ではなく、学習するというその過程がより大切であるはずです。


 例えば、受験です。受験においては合格するのが目標に掲げられますが、それが目的ではないはずです。大学に入るのは、勉強するためであり、学歴を入手するためではないはずです。


 年収一億円のアフィリエイターの川島さんは、手段として横浜大学の学位を入手されました。もちろん裏口とかではありません。正々堂々と入学し、そして卒業されました。


 彼が、大学に求めたのはブランド力です。彼は、同級生が必死に受験勉強に励む中、有名大学の中で、かつ、楽に入れる大学を真剣に探したのでした。その結果彼が出した結論は、横浜国大二部でした。


 彼がこの大学がオススメと広めてしまったために、今では難しくなってしまったと聞いていますが、当時は楽に入れたそうです。


 日本の企業が求めるものは、有名大学というブランドだけです。何を勉強したかは多くの場合問われません。理由は、別に勉強してきてないでしょ?と思っているからです。


 そもそも、それが好きで入った大学なら、今のご時世でも就職先はあるでしょう。ましてや、4年間も真剣に勉強して来たなら、自分で起業できる位になれるはずです。好きな事を、好きという理由だけで、続けてきたことにより・・・


 これって、イチローの姿勢と同じですよね!?。目の前のことを、一つずつ真剣にこなしていくことで大偉業を成し遂げる・・・


 ただ、これと反対のことを言いながら大偉業を成し遂げた人もいます。それは、スケートの清水 宏保さんです。彼がよく現役時代に口にしていた言葉に、


 「目標とは達成すべき結果である」


 このように考えても精神的につぶれないならいいと思います。ただ、多くの人はそこまでモチベーションをキープすることはできないと思います。


 スケートつながりで一言。清水選手の陰で涙を飲んだ選手がいます。堀井 学さんです。彼は、スラップスケートの出現のために、金を逃したと言われている人です。彼は、長野オリンピック直前に現れたスラップスケートのために、長所であったコーナリングの巧さを発揮することができず、長野オリンピックで惨敗しました。


 オリンピックの後のインタビューで、長野五輪のことをインタビュアーに次のように質問されました。


 「堀井さんにとって、長野の失敗はどういうものでしょうか?」(詳細は違っていますが、こんな内容でした、スイマセン不正確で)


 「えっ・・・、僕は失敗とは思っていません。続けている限り、失敗ではないですから・・・・」


 その後のソルトレークでも彼は結果を残せませんでした。しかし、それでも彼は失敗していないと言うと思います。なぜなら彼自身が失敗と認めないからです。


 失敗はあきらめた時に失敗になります。しかし、チャレンジし続けているなら、失敗するという選択肢が一つ減った、すなわち成功への小さな一歩めたことになるのだと思うのです。その一歩一歩の積み重ねが、大きな偉業を成し遂げさせるのかもしません・・・、そうでないかもしれません。しかし、どちらにしろそのような生き方を選択した人は、成功者であることは確かだと思います。


 成功とは、外にあるものではなく、自分の中にあるものだと思います。


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 自分の精神を階層構造にすると生きやすいかも知れません。



 自分の精神を階層構造にすると生きやすいかも知れません。


 ただ、このように言っても意味が、意味がよく分からないと思います。それですので、これからちょっとのお時間を頂いてご説明したいと思います。


 人間誰しも、幾つかの役割を持って生活していると思います。私は、家庭を持つ男性ですので、夫と父親という役割があります。親が健在ですので、子という立場もあります。会社では、部下であり、同僚であり、上司でもあります。取引先から見たらお客様でありますが、顧客から見たら召使いかも知れません。


 このように、私という一個人であっても、状況によって様々な「立場」に立たされることになります。


 このすべての「立場」において、「同一の人格」として対応してもよいのですが、それだと疲れてしまう場合があります。


 例えば、こちらがお客の立場で取引先と対応する場合、「いい人」で居続けることができない場合があります。私の「お客様の利益」を尊重するために、取引先に辛くアタラなければならない場合などです。


 上司と部下の関係でも同じことが言えるでしょう。自分の上司に「いい人」であるために、部下から「悪い人」と思われることもあると思います。ベストは、両方に対して「いい人」と思われるように対応できることですが、なかなか難しいでしょう。


 私は、技術系の仕事をしています。それですので、「いい人・悪い人」という尺度はそもそも必要ありません。人間的に、いいも悪いもなく、ただ技術的に「優れたもの」を作ればいいのです。


 それですので、技術者としてのモチベーションが確保されているなら、マシーンとして目の前の問題をこなしていけばよいのです。ある意味「非情」でいいのです。「ダメなものはダメ」と言って、その人が「どうなろう」と気にしてはいけないのです。


 「情にほだされてハンコを押す」などという行為は、ビジネスにおいては決して行ってはいけない行為なのです。しかし、人間的な人は、「頑張っているから」とか、「かわいそうだから」とか言って、理知的に判断できる内容に、人間性を混入してしまいます。そうすると今度は自分がその苦しみを負うことになってしまいます。


 その覚悟があるならそれでもよいですが、その覚悟をしないで、情に流されてしまうことが多々あると思います。それですので、立場毎に自分を階層構造にするのがよいと思うのです。


 自分の最高位に位置すべきものは「愛を伴ったリーダーを生みだす愛のリーダーとしての自分」だと思います。最下層に位置すべきものは、「マシーンとして入力に対して正確な出力をする自分」だと思います。


 ユーキャンなどが刺激するのは、「マシーンとしての自分」です。「そんなものどーでもいいだろ!」と思いますが、「できる人」という評価を得ることが、とある人種においては尊いことなのだそうです。(意味ねー)


 実際、仕事において求められている能力は、データベースとしての能力と、演算装置としての能力です。コンピュータが得意とする分野です。それですので、高度に優れたシステムが構築されたら、これらの分野の仕事はコンピュータに置き換えられます。


 人間が行うべきことは、コンピュータには決してできないことをすべきだと思います。それは、「創造」です。創造することは、現時点では、コンピュータにはできません。我々人間の存在意義は、「想像したことを具現化する創造者」という点だと思います。量子コンピュータが実現したとしても、この点は実現できないでしょう。


 ですが、「創造者」として日々の仕事を「ストレスなく」こなすことは難しいです。それですので、仕事は「マシーン」としてこなしましょう。隙があればわずかでもよいので、自分の「オリジナリティ・創造性」を挿入しましょう。


 それをやりやすくするのが、「自分を階層構造で管理すること」だと思います。なんとなく伝わればよいのですが・・・


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 2011/07/28(木)


 マシュー君の最新のメッセージ(邦訳)がアップされました。



 マシュー君のメッセージと言って分かる方は少ないと思いますので、簡単にご説明させて頂きたいと思います。以下のページが分かりやすかったので、引用させて頂きます。


    宇宙のこっくり亭


 最新のマシュー君のメッセージは以下です。


    玄のリモ農園ダイアリー


 私は、マシュー君の本(邦訳版のみ)をすべて読みましたが、その内容を吟味してみたところ「本当」だと思いました。しかし、気になる点が2点ありました。


 それは、1.オバマは光の使者である。という点と、2.邦訳者は玄さん(きくちゆみさんの旦那)という2点からでした。


 オバマが光の使者という意見に対し、ベンジャミン・フルフォードさんとかの評価は「闇の支配者の手先」というものです。実際の彼の政策や発言を見ると、にわかには「光の使者」とは思えません。


 2点目は、訳者がきくちゆみさんの旦那という点です。このご夫妻は「善人」ですが、本当に「光の使者」なのかが疑問でした。その理由は、1.きくちゆみさんは9・11についてテルミット説にしか触れない(核兵器説に全く触れない)という点と、2.福島原発の問題で「執拗に恐怖をあおっている」という2点からです。


 光の使者としては、恐怖をあおるような発言や行為をするべきではないと思います。しかし、「放射能は悪」という一点張りで発言と行動をくり返しています。


 彼女の「つなぐ光」の活動は素晴らしいと思い、発足時に僅かですが寄付させていただきました。それですので、彼女たちのすべての発言・行動を否定するというわけではないのですが、「ある種の政治的なバイアスがかかっている」という風に思えてしまうのです。


 実際彼女の過去を洗うと左翼的な活動履歴が出てくるはずです。人の過去を取り上げ、非難するということではないのですが、「マシュー君のメッセージをとある目的のために利用しようと思っているのでは?」と感じてしまうのです。


 そう思っていたところに、今回のメッセージがありました。冒頭の部分で玄さんが「福島原発についてマシュー君のメッセージがない!」ということでマシュー君のお母さんにメールで問い合わせたとありました。このことからわかるのは、「玄さんは、マシュー君から福島原発問題は深刻であり、皆避難しなくてはならない的な発言を期待していた」ということです。


 これらから言える結論は、「マシュー君のメッセージは本物であるが、伝えている人があるバイアスを加えている加えているかもしれない」ということです。


 オバマは闇の支配者の手先として「担ぎあげられ」かつ「働かされている」かもしれません。しかし、最後の最後で、「光に寝返る」のかも知れません。マシュー君のメッセージと辻褄をあわせるには、そのように考えるしかありません。でも、たぶんそれが真実でしょう。


 私たちが、気にしなければならないのは、「恐れというエネルギーを闇に与えてはいけない」ということです。ACIMでも言われていますが、「愛」の対義語は「恐れ」です。憎しみではありません。「愛=光」の中で生活しているのであれば、私たちはアセンションし、ニルバーナに行くことになるのだと思います。


 地球は分裂し、「闇が支配」する以前の地球と、次元上昇した「光が支配」する地球へと分離していくのかも知れません。バシャールが言っています、いずれは双方から双方は見えなくなると。


 2つの地球の内、どちらに住むようになるかは、あなた自身の霊的な部分が決定するのだと思います。そして、一過性の対処療法的な方法で、アセンションすることはできないのだと思います。


 エイブラハム・ヒックスのメッセージでは「カルマは無い」と言われています。それは、懲罰的な意味でのカルマについて「無い」ということを言っています。しかし、地球が溜め込んだネガティビティはあるのです。それを今、地球が解放しているのです。闇の支配者もその点から言えば、ネガティビティの解放に協力してくれていると言えるかも知れません。


 バシャールの「輪ゴムの分析学」というものがあります。ネガティビティは輪ゴムを引っ張るような行為であり、引っ張れば引っ張るほど、指を離せば反対方向に勢いよく飛んでいくというものです。


 今、色々と問題が世界各国で起こっているのは、この「輪ゴムの分析学」が示している内容なのだと思います。悪ければ悪いほど、光へと素早く飛んでいけるのでしょう。


 他の宇宙文明が、この地球の出来事を注視していると言っています。それほど、この地球のネガティビティは強烈であり、輪ゴムが飛び立った後の劇的な変化が期待されているのです。


 私たちは、その全宇宙的に見ても稀有な一大イベントに参加できているのです。そのことを楽しんで生きていきましょう!


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 2011/07/27(水)


「やりたいこと」をしましょう!「やらねばならないこと」は「やりたいことに変えてから」やるようにしましょう!



 「やりたいこと」をしましょう!「やらねばならないこと」は「やりたいことに変えてから」やるようにしましょう!


 やりたいことを最優先にして、やりたいことだけをやるようにしましょう。


 しかし、多くの人は「そんなこといってもやらなければならないことが一杯で、やりたいことをやる暇なんてない!」と言われるかも知れません。


 ですが、明日死ぬと分かっていても、その言葉・その選択をなさるでしょうか?


 明日が相も変わらず存在しているという保証はありません。


 私は家を建てました。しかし、一部の人の言うように東日本が福島原発の影響で「避難地域」になるならば、「無駄」になります。


 先の人は、「東日本が原発で壊滅的な被害を受ける可能性があるため、家を建てない」という選択をするのでしょうか?


 津波の被害を受けた地域に家を建てていた方は、津波のことは考えなかったのでしょうか?考えたかも知れないけれど、その確率は低いから・・・と思ったのかも知れません。


 アメリカは大丈夫だと思って、米国債を買っている国はいっぱいあります。しかし、アメリカはデフォルトしそうなのです。


 アメリカがデフォルトするなら、日本もデフォルトするかも知れません。それを心配して、貯蓄をしないという選択をするでしょうか?


 多分しないと思います。多くの人は不確実であるにも係わらず貯蓄をします。


 しかし、不確実って悪いことでしょうか?確実に「サラリーマンをやって」「退職後は年金生活」という「確実な人生」って幸せでしょうか?


 ただし、この青写真も現時点では「砂上の楼閣」です。いつ肩たたきがあったり、年金支給額の引き下げや支給年齢の引き上げが起こるとも言えません。


 そんな青写真を得る確率を高めるために、嫌がる子どもを無理矢理、受験戦争に追い込むのでしょうか?


 先行きは、皆が思っているほど堅実ではありません。投機的と言っても良いと思います。


 ですが、投機的な人生って不幸でしょうか?一概にそうとは言えないと思います。


 幸・不幸はある対象に対して、あなたが下す判断に過ぎません。あなたが投機的な人生を「幸せ」と思うのであれば、幸せなのです。


 っていうか「投機的な人生の方が楽しい」と思える「パラダイム」で生きる方が人生は「楽ちん」だと思います。


 要になるのは「パラダイム」です。パラダイムとは個人のレベルで捉えるなら、「信念」という単語で置き換えても問題ないと思います。


 「この仕事は難しい」という問いは命題ではありませんが、この問いは多くの場合「ネガティブ」な印象を与えると思います。


 しかし、「この仕事は難しいので楽しい」といった場合、命題となり、真偽を判断することは可能になります。この真偽の解を与えるのがあなたの「パラダイム」なのです。


 ゲームが簡単すぎた場合、「つまらない」という人は多いでしょう。「このゲームは難しいので面白い、攻略しがいがある。」という感想を持たれる方は多いと思います。


 この命題で、「ゲーム」を「人生」に置き換えたらどうでしょうか?


 「この人生は難しいので面白い、攻略しがいがある」


 人生を試練に喩える人が、このように考えられるようになったら、それが個人における「パラダイムシフト」になります。


 2012年12月21日でマヤ暦が終わります。アセンションが起こると多くの人が思っています。「地球滅亡」などと言っている人もいます。


 しかし、地球が滅亡するのではないと思います。今までの「パラダイム」が崩壊することを意味しているのだと思います。


 拝金主義的な考え方や既存の宗教に囚われたパラダイムから、全人格主義的なパラダイムへと転換していくのが「アセンション」だと思います。


 その時に、DNAの変容があるのかも知れません。ですが、それはあくまでも外面的な変化であり、内面が転換されない限り、外的にも変化しないのだと思います。


 日月神示の言うところの「御魂磨き」に励みましょう!



 2011/07/22(金)


 先行きが不透明すぎます。



 先行きが不透明すぎます。何もかもが混沌としています。


 ●アメリカは本当にデフォルトするのか?
 ●日本は赤字公債を発行して震災に対応するのか?
 ●チャベスは第二のフセインにされるのか?
 ●今なぜ東電OL(お父さんは東電の幹部であったが・・・云々)の話が?
 ●汚染牛の原因は本当に稲藁か?
 ●第二の9・11を起こそうというデータがリークされているのはなぜか?
 ●エレーニン彗星はダミーなのか?


等々、わからないことばかりです。


 今、多くの人が放射線汚染の件でメンタルがやられているそうです。


 そんなものは気にしなくていい・気にしてもどうにもならない、と思うのですが、先にあげた項目は、世界の流れを大きく変えるものです。


 放射線の問題はたぶん誰かが裏である方向に大衆を誘導するために、起こしているものだと思います。そんなものには踊らされないようにしましょう。


 ただ、アメリカがデフォルトを回避するために、9・11のようなテロを再度起こさないかが心配です。


 3・11もアメリカのテロかもしれませんが、日本人の性格故、暴動等はおきませんでした。そのため、8月2日を前に、もっと凶悪なテロが起こされるかも知れません。


 気をつけてもどうにもならないかもしれませんが、情報に踊らされないことはできます。


 新聞やテレビは本当のことを報道しないということを前提に情報を収集する必要があります。


 バシャールの言った輪ゴムの理論というのがあります。どのようなものかというと「悪い方向にいっぱい引かれた輪ゴムは、指を離されたら勢いよく反対方向に飛んでいく」というものです。


 今は悪い方向にいっぱい引っ張られている状態だと思います。これを超えたらよい方向に向かっていくと思います。意志をしっかり持って、ワクワクを大切にして生きるいることが大切だと思います。


 2011/07/14(木)


 日月神示:神と金とに二つに使えることは出来ん。それは段階の低い信仰であるぞ・・・



 今、日月神示という本を読んでいます。その本の中で、今日であった言葉が、タイトルの文言です。


 「神と金とに二つに使えることは出来ん。そのどちらかに使えねばならんと、今までは説かしていたのであるが、それは段階の低い信仰であるぞ。」


とありました。この二つに使えることは出来ん。というのは、私の中ではイエスの言葉を指します。そのイエスの言葉を覆すのが、先の言葉です。


 私は、金持ちになろうとし始めています。理由は、良いことの為にお金を使いたいからです。


 私は全体の奉仕者としての使命を果たしたいと思っていますが、現状の中で自分の思いの全て実現するのは無理だと感じています。


 それならば、自分がそれを進める者となろうと思い、金儲けを進めようと思っています。


 「世界に変化を求めるなら、自分がその変化になれ!」


と言ったのは、カンジーです。自分がその変化になろうと思います。


 言いも悪いも現在の資本主義社会は崩壊します。これはまず間違いないでしょう。新たな価値基準で世界が営まれていくと思います。


 バブルと戦争によりお金を生み出してきた今までの金融資本主義は崩壊し、互助会的な社会システムへと移行していくでしょう。そのような社会で富める者は、


「私たちの喜びが、他の人々に役立つように、私たちは喜びたい」(ニーチェ)


というような人達により営まれる社会でしょう。そんな社会がもうすぐ来る・それを創れるものになれると思うと「ワクワク」しますよね。そんな心持ちで生きていきたいと思います。



 2011/07/13(水)


 フラクタルな構造で宇宙はできている



 フラクタルという単語はご存じでしょうか?


 錬金術師は「上の如く下も然り」と言っていたそうです。J・C・ガブリエルさんの本に出て来た言葉です。


 フラクタルというのはこのことを表している言葉で、「全ては相似形から構成されている」ということを言っています。


 例えば、原子と太陽系を比較してみます。中心に原子核・太陽が位置しており、その周りを電子・惑星が回っています。このような相似形が繰り返されて、あるものが形作られることを「フラクタル」と言います。


 樹木においても同じ事が言えます。3本の枝を画像ソフトなとで作成し、それを限りなくコピーペーストすることで、一本の木が形成されます。


 16:9(黄金律)の長方形に16:9の長方形を短辺(9の方)にくっつけ、これを無限に繋げていくことで、アンモナイトの貝殻が形成されます。これも「フラクタル」の一つです。


 以下の画像は、マンデルブロ集合というもので、とある数式を無限に繰り返して得られる画像です。綺麗ですよね!


 マンデルブロ


 この宇宙は、全てフラクタルから成り立っているというのが、J・C・ガブリエルさんの意見であり、私の意見でもあります。


 昨日述べた本に出てくる、ナシーム・ハラメイン博士は、その考えを更に推し進め、「原子の中にブラックホールがある」とまで言っています。


 ブラック・ホールは異次元につながるものであり、その先には宇宙が存在することになるのでしょう。


 そうなると、無限小の世界の中に、無限大の世界が存在することになるのだとおもいます。これが「上の如く下も然り」の意味だと思います。


 私たちの肉体の中に、霊という存在があると思われて言います。日月神示では、あの世は、この人間の「霊」を肉体とする「神」が存在していると言っています。


 その「神」を肉体とする「神」がその上に存在すると言っており、最後の「神の神」が肉体だと言っていました。


 これも「フラクタル」であり、「上の如く下も然り」を表していると思います。


 それですので、メタボではダメなのです。そのような思いもあり、私はトライアスロンをやっていますし、グレイシー柔術もやっています。


 心と体を磨くことが大切だと思います。


 2011/07/12(火)


 読書「新たなるフォトンベルトか」J・C・ガブリエル(旧エハン・デラヴィ)著



 「新たなるフォトンベルトか」を読み終えました。おもしろかったです。これからの変容を示してくれているように感じました。


 今年に入ってから時間の流れがとても速くなっているように感じます。革命や震災、経済混乱など、多くの事件が起きています。


 PIIGSの破綻や米国のデフォルトなども真実味を帯びてきています。日本の政治も破綻しています。今までの観点での食の安全なども脅かされています。


 不安に駆られる人も多いでしょうが、これらの変化は、地球規模のものではなく、宇宙規模のものであると思います。


 この本でもそのことを伝えてくれています。


 しかし、宇宙的な変化も、実のところは個人の内面的な変化が重要なのだと思います。


 観測者のいない宇宙に存在価値はありません。それは量子力学が示している真実です。そして、各人の価値観に対応したそれぞれの宇宙が存在しているのだと思います。


 自分たちの生きたい世界を生きていくように、これからは変容していくのではないかと思います。情報をつかむことは大切ですが、それに踊らされることなく、内面を磨いていくことが大切だと感じました。



 2011/07/11(月)


 読書:ユダヤ人大富豪の教え 本田健著



 「ユダヤ人大富豪の教え」を読み終わりました。良い本でした。


 本田健さんを知ったのは、「バシャール 未来は、えらべる!」の本によってです。


 昨年、バシャールを知り、関連書籍を多数読みました。その中に、本田健さんの本があったのです。


 本田健さんは、お金儲けの達人として知られていたようでした。それで、本に付いていた無料のCDと冊子の案内から、これらを申し込みました。


 ずっとお金儲けには興味はなかったのですが、家を建てるためにローンを組んだため、ちょっとお金儲けを考え始めています。


 ジェームス・スキナーさんのCDに感銘を受け、本田健さんのCDも聴いて見ました。よかったです。


 「ユダヤ人」というタイトルから、この本に対して偏見を持っていたのですが、それが偏見であることが分かりました。


 一部のハザール人は、陰謀論者が言っているように本当に「悪人」かもしれませんが、この本に出てくるユダヤ人は良い人でした。


 この本の続編が最近だされたということですので、機会がありましたら読んで見たいと思います。

 2011/07/08(金)


 『仕事マインド』と『ビジネスマインド』と『ホビーマインド』



 今、ジェームス・スキナーさんのセミナーを受講しています。その中で、スキナーさんが言っていたのが、『仕事マインド』と『ビジネスマインド』です。


 仕事とビジネス、同じじゃないか!という声が聞こえて来そうですが、スキナーさんがそのように言っているので、そのまま書きます。


 『仕事マインド』とは頑張ったことを評価してくれ!というマインドだそうです。日本ではありがちな論拠です。


 それに対して、『ビジネスマインド』とは残した結果を評価してくれ!というマインドだそうです。外資系に多い考え方だと思います。


 まっとうな経営者にとって、仕事マインドの論拠は訳が分からない論拠だそうです。わたしもこれは、ごもっともだと思います。


 しかし、日本ではこんなに頑張っているんだからとか一生懸命やっているのにとかいうことを盾にして、文句を言う人が多いです。これはまちがっていますよね?


 不真面目にやっているとしても手を抜いているとしても、顧客が満足するサービスが提供できていればそれで良いはずです。


 それができていないから、気持ちだけを汲んでくれというのは、虫の良い発言です。


 その反対に、ビジネスマインドも如何なものかと思います。全てを結果だけで判断し、過程を評価しないのも問題です。


 例えば、オリンピックでの金メダルを目標にしていたとして、全てを犠牲にしてそれを獲得したとしても、過程が苦しすぎれば『燃え尽き症候群』になってしまうかも知れません。


 わたしが、推薦したいのは『ホビーマインド』です。過程自体に重きを置く態度です。趣味に勤しんでいるとき、効率や時間を気にしないと思います。


 映画を見るのが趣味の人が、効率を気にして、1.3倍にフィルムの再生速度を速くして再生したとしても、それは意味のないことです。音楽が趣味の人が、効率よく曲を聴くために、テンポを速くしても、それも意味のないことのはずです。


 趣味を行っている時、その過程・時間自体に価値があるのです。ビジネスでは、お金が残らなければ意味はありません。しかし、趣味であるならお金は残らなくても良いのです。かえって、趣味はお金がかかります。


 ホビーマインドで人生を生きるのが良いと思います。結果も気にせず、過程だけを楽しむのがベストかと。ついでに結果が着いてきたら儲けものです。そんなスタンスで仕事も人生もこなしていくのが良いかなと思います。




 2011/07/06(水)


 自分の得意なことでなく、好きなことをすることが大切



 今、本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教え』という本を読んでいます。


 この本の存在はずっと以前から知っていたのですが、「ユダヤ人」&「大富豪」という単語から、ハザール人の闇の支配者を思い浮かべてしまっていたため、避けてきた本でした。


 しかし、とあるきっかけから読むことにしました。標記の言葉は、その本の中に出てきた言葉です。


 多くの人は、子どものころから自分の『得意なところ』を伸ばすように教育されてきたのではないでしょうか?


 自分の場合は、理数系が表面的には『得意』でしたが、好きなのは『倫社』でした。


 しかし、英語が苦手であったためと、哲学では生きていけないためと、電子・情報系が引く手あまただったため、自分は電子工学科に進みました。


 得意ではあったのかもしれませんが、本質的に好きなのは『真理探究』であったため、就職先を決めるときにとても悩みました。


 その時初めて、自分が好きではないことをやってきたことに気がつきました。


 今はやりたいことをやって生計を立てられるように、徐々に方向転換を図っています。


 この本では、やりたいことを真剣にやり続けることが、金持ちになる出発点であると言っています。


 それが本当かどうかはこれから確認しますが、好きなことをやれていたら、それだけで幸せなことは確かです。


 このことを意識しながら生きていくことが大切だと思います。


 2011年7月1日(金)


 「人に迷惑をかけたくない」を論理的に考えてみると・・・



 「人に迷惑をかけたくない」という人がいます。この言葉は、命題にはなっていません。論理的に考えるために命題にします。


 「人に迷惑をかけない、ならば、悪ではない」


 このように書いた場合、命題になり、真偽を判断することができるようになります。


 この命題は、たぶん多くの人がだと言うでしょう。これを真だ、いや、偽だを云々いうのが哲学になります。まあ、ここで哲学の話をしたいわけではないので、この命題はとしておきます。


 論理学的な観点から言うと、この命題は、対偶となります。対偶とは、「¬B⇒ ¬A」(¬A は命題 A の否定)という表現であらわされるものです。


 対偶の元の命題は、命題「A ⇒ B」であり、どちらががであるなら、もうひとつもになります。


 先の例でいえば、「悪、ならば、人に迷惑をかける」が元の命題になります。対偶が真であるため、これも真になります。


 命題には、このほかにがあります。逆と裏は、次のようになります。


  逆:「BならばA」
  裏:「AでないならBでない」


 命題がだとしても、逆と裏は真になるとは限りません。一般の人は、その辺の矛盾を理解しません。先の例で、逆と裏を示します。


  逆:「人に迷惑をかける、ならば、悪である」
  裏:「悪でないならば、人に迷惑をかけない」


となります。


 どのように感じたでしょうか?どれもが、であると思われたのでないでしょうか?しかし、論理的に考えると、すべてがであることは証明されていないとなります。


 難しい話をしたいのではなく、これら4つのどれをとするかを、各個人できめることが哲学であり、その人の生き方を現すものであるということを言いたいのです。



 「人に迷惑をかけない」という表現は、消極的な表現だと思うのです。そうではなく、もっと積極的にこの想いを表現する生き方のほうが望ましいと思うのです。


 「人に迷惑をかけない」ではなく「人を愛する」という表現で生きることはできないでしょうか?


 人に迷惑をかけないの部分集合の中に人を愛するという集合があると思います。命題としては、


 「人を愛するのは、善である」


 が積極的な命題だと思います。この対偶は、


 「善でないのは、人を愛さないことである」


となります。先の2つの命題を比較してみましょう。


 「人に迷惑をかけない、ならば、悪ではない」
 「善でないのは、人を愛さないことである」


 どちらが、望ましい生き方と思うでしょうか?


 わたしは、断然、後者です。また、前者と後者では、根本的な相違があります。前者は、価値判断の基準として他者を必要とします。誰かが迷惑を定義し、その迷惑を行わないようにするという態度です。


 極端なことを言えば、お前が生きているのは迷惑だといわれたとしたら、死ななければならなくなります。


 それに対して、後者は、他者を必要とはしません。まあ、愛する対象としての他者は必要かもしれませんが、価値判断をする人として、他者を必要とはしないのです。


 私は、鬱を患いました。その時は、他者の価値判断を自分の価値判断以上に評価して生きていたためです。


 マザーテレサは、生涯反戦運動には参加しなかったと聞いています。しかし、平和運動には喜んで参加しますと言っていたそうです。この違いをお分かりいただきたいと思います。


 人を赦すのは大切なことです。しかし、裁いたから赦しが必要になるのであり、裁かなければ、赦す必要は発生しません。


 戦争がなければ、反戦運動は存在し得ません。平和でありさえすれば、反戦運動はそもそも生まれないのです。


 アインシュタインの言葉に、「問題が発生した次元で考えている限り、解決策は見いだせない。」と言ったそうです。この意味は「思考の次元をアップして、解決策を見いだせ!」ということだと思います。


 反戦運動は、戦争をするのと同次元の思考です。反戦運動はイデオロギー闘争になります。新たな争いが生まれるでしょう。


 現在の反原発運動も同様だと思います。地球を愛そう!が動機であるなら結構なのですが、反利権運動などとも反原発運動はリンクしますので、その運動への参加には注意が必要だと思います。


 大切なのは、赦す以前に、裁かなければ、赦す必要もいらない、ということだと思います。


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