2011年8月

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 2011/08/31(水)


 バシャールの『豊かさ』とは・・・やるべき時にやるべきことをやる能力 だそうです。



 バシャールの言うところの『豊かさ』とは、やるべき時にやるべきことをやる能力だそうです。原文の通りですと、『Abundance is the ability to do what you need to do when you need to do it.』です。


 最近、「7つの習慣」のDVDや「成功研究会」のCDなどを見聞していますので、どうも豊かさに対して『経済的』というニュアンスが含まれてしまってきていました。それですので、ちょっと目先を変えてみたいと思います。


 『豊かさとは、やるべき時にやるべきことをやる能力』 


 この言葉を語った時、バシャールは『何かお金についての、話ししましたか?』と言っていました。バシャールの説く豊かさとは、経済的な問題とは無関係なのです。


 その反対に、現代人の多くが、豊かさとは経済的な観点であると思っています。大きな間違いかも知れません。


 マザーテレサが日本に来たときも、そのような言葉を残しています。『路上の貧しい人に無関心な日本の富める人は貧しい』というようなことをおっしゃいました。


 この世にはびこっている概念に、win-loseという考えがあります。これは7つの習慣に書かれている言葉です。「誰かが勝つためには、誰かが負けなければならない」または「あなたが負けたおかげで、私は勝てる」といったような考え方です。


 現代の資本主義はこのような構図の上に成り立っているような気がします。「あなたが貧しいおかげで、私が富むことができる」「あなたの取り分が多くなると、私の取り分が少なくなる」といった考え方です。


 これに対応する言葉に、win-winという考え方があります。「あなたが富むおかげで、わたしも富む」といった考え方です。そんなのは理想だという意見が聞こえて来そうですが、本来、経済はそのような関係の上で成り立ってきていました。互助会的な社会です。


 しかし、近代の金融資本主義になってしまったために、お金を取り引きしてお金を生むというマネーゲームに経済が、貶められてしまいました。現在は、現物(物や金)から派生した商品(デリバティブ等)が、現物の数千倍にまでふくれあがってしまっています。


 お金を発行する権利を持っている者達が、現物の裏付けがないのに、お金を発行しているのが今の資本主義なのです。サブプライム問題は、この構図の上で発生しました。その結果、富めるものはますます富み、持たざる者は持っているもの全てを奪われるという社会になってしまったのです。


 日本の総理が代わりました。その構図を見ると、日本においても格差社会はますます進行していくと思います。そんな時代に、こころに留めておかなければならないのが、冒頭の言葉だと思います。


 『豊かさとは、やるべき時にやるべきことをやる能力』


 自分自身が辛い時に、人の言葉に耳を傾けられる余裕はないかも知れません。しかし、その時に、人の言葉を聞いてあげられる人は、豊かな心を持っていると言えるでしょう。経済的な豊かさは、その次に求めるものだと思います。


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 2011/08/30(火)


 スティーブン・R・コーヴィーさんの「7つの習慣」を読みながら感じていること



 スティーブン・R・コーヴィーさんの「7つの習慣」を読みながら、感じていることについて書いて見ます。最近、「7つの習慣」がらみの記事が続いていましたが、この本が究極の真理であるなどとは考えていません。今よりは良い生き方を提示してくれると思いますが・・・。それについて少し書いて見たいと思います。


 「7つの習慣」はやはり、『成功哲学』と呼ばれる領域の一つのように感じます。そして、ここで意味している成功とは、社会的・経済的成功を表しているます。本ではあまり成功哲学っぽくなかったのですが、DVDを見たら成功哲学そのものという風に感じました。


 幸せとは「成功」とイコールではありません。しかし、DVDではそのように描かれているように感じました。特にそのように感じた部分は、目標を実現するために、業務棚卸法を使っていたことでした。業務棚卸法はなじみのない言葉だと思いますが、わからない方はお手数ですが、wikiってください。


 業務棚卸しとなってしまった時点で、あなたの取り組むべきことは、こなさなければならない作業になってしまいます。目標を達成したときは、充実感は得られるでしょうが、もし、その業務の最上部に位置する目標が実現できなかったときは、全ては徒労となってしまいます。少なくとも、その目標実現という観点にたったのなら、徒労です。


 やりたいことだけをやる。の姿勢の場合、目標にはフォーカスされていません。それですので、目標が実現されなかったとしても、徒労にはなりません。なぜなら、各過程において、すでにやりたいことをやることで得られる満足感という果実を得ているからです。


 成功哲学的な観点での果実は、目標実現によって得られる満足感です。しかし、過程重視型の考え方の果実は、その時々に得られる満足感です。どちらが、生きてるって感じる生き方でしょうか?


 もちろん、後者の方が、生きてる喜びを感じられる生き方だと思います。


 第Ⅱ領域の活動に、キャリアアップのための資格取得を入れた方は、その資格を取得し、キャリアアップができるまで、満足感は得られないということになります。しかし、坐禅により精神の安らぎを得るを第Ⅱ領域に入れた方は、坐禅の過程全てにおいて満足感を得ることができるのだと思います。どちらが豊かな生き方でしょうか?


 坐禅はあくまでも例えであり、坐禅を推薦しているわけではありません。例えば、通常は第Ⅳ領域の活動に分類されると思われる映画を見るという活動について考えて見ます。


 感性が優れていた場合、映画により精神的に豊かになることが可能です。例えば、黒澤明監督の「生きる」などを見る事によって、前例踏襲しかできなかった公務員がその現状を打破することができたなら、その映画を見るという行為は第Ⅱ領域の活動に結果的になるのだと思います。すなわち、第Ⅳ領域の活動であっても、己の意識が高ければ、その活動は第Ⅱ領域になるのです。


 最初から、果実に芽を向け、第Ⅱ領域の活動を行った場合、「ねばならない度」が高くなります。ねばならない度が高くなりすぎると鬱になります。フロイト学説によれば、「ねばならない」活動は超自我に係わるものです。その活動のみに支配された場合、人間が生きる上での根本となるesが消えてしまいます。これは、定説ではなく自らの経験から得た結論です。


 それですので、本当によい生き方は、第Ⅳ領域を求めていたけれど、それが結果的に第Ⅱ領域の活動になってしまっていたという生き方か、ONの状態で、第Ⅱ領域の活動をしていたけれど、知らない間にOFFの活動になってしまっていたという生き方だと思います。


 先日の記事で子育てのことを書きました。子育ては第Ⅱ領域の活動だと思いますが、私に取っては、同時にOFFの活動にでもあります。OFFの活動として、映画をよく見ますが、それにより、より善く生きようと思えるようになっています。こんな生き方は如何でしょうか?


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 2011/08/26(金)


 「ON」と「OFF」という時間の定義がそもそも間違っていると思います。



 時間管理において、「ON」と「OFF」という言葉がよく聞かれますが、そもそもこの「ON」と「OFF」という時間の定義の仕方が、間違っていると思います。


 時間に関しては、第Ⅰ領域から第Ⅳ領域まであると「7つの習慣」で書かれていますが、この「ON」と「OFF」という考え方は、この4つの領域の内、第Ⅰ領域と第Ⅳ領域に着目しての発言だと思います。


 以前のブログの繰り返しになりますが、第Ⅰ領域は「緊急であるand重要である」事柄です。「ON」と評される時間の使い方は、この部分に着目したものだと思います。この第Ⅰ領域への対応は、緊張を強いられることになりますから、第Ⅳ領域に逃げ込み、エネルギーをためよう!という時間が必要になります。それに該当するのが「OFF」なのであり、「第Ⅳ領域」なのだと思います。


 以前の記事で書きましたが、一番大切なのは第Ⅱ領域です。「ON」と「OFF」という時間の捉え方では、第Ⅱ領域には、なかなか注意が向かないと思います。それでは、第Ⅱ領域は、ON・OFFで考えた場合、どちらにはいるのでしょうか?


 これは人により様々だ思います。例えば、「キャリアアップのための資格試験の勉強」を第Ⅱ領域に入れた人の場合、精神的には「ON」の状態になってしまうと思います。しかし、「精神的な豊かさを得るために行う坐禅」を第Ⅱ領域に入れた人の場合、精神的には「OFF」になると思います。というより、坐禅で「OFF」になれないとしたら、坐禅の仕方が悪いということにもなります。


 第Ⅱ領域の定義は、「緊急でないand重要である」ですので、ここに何を入れるか・それを「ON」と感じるか「OFF」と感じるかは、その人の精神レベルに強く左右されます。


 「子育て」について考えてみます。子育ては間違いなく第Ⅱ領域の活動です。そのように捉えない親御さんがいらっしゃることも認識していますが、親としての最低の責務として、子育ては第Ⅱ領域に入れなければなりません。


 では、この第Ⅱ領域に含まれた「子育て」とは「ON」でしょうか「OFF」でしょうか?


 「家族サービス」という言葉を使われる方は、子育てを「ON」と捉えると思います。「できればやりたくないが、やらなければならないので、自分の時間を割いてやる」というニュアンスが「家族サービス」という言葉には含まれているからです。そのような言葉を使われる方は、子育てもONと捉えられるでしょう。


 「子育て」を「最も大切な趣味の一つ」と考えられたとしたら、その人にとって「子育て」とは「ON」でしょうか・「OFF」でしょうか?


 基本「趣味」ですので、精神的には「OFF」のはずです。このような意識で「子育て」に当たれれば、苦痛は感じないはずです。


 これは、子育てに限った話ではなく、全ての事柄に対して「趣味の一つ」と考えられればいいと思います。第Ⅰ・第Ⅲ領域の「緊急である」事柄を「趣味の一つ」と考えられるようになるためには、第Ⅱ領域で極めて強く自己を啓発しない限り、難しいとおもいますが、不可能ではないと思います。この辺のことを書き始めると長くなりますので、次回にします。


 第Ⅱ・第Ⅳ領域の事柄は「緊急でない」事柄であるため、リラックスして取り組める可能性が高くなると思います。


 「音楽を聞く」という事柄について考えてみます。これは、第Ⅱ領域の事柄でしょうか、それとも第Ⅳ領域の事柄でしょうか?


 答えは、人によって異なるです。


 あなたが、音大生で指揮法を習っていた場合、「音楽を聞く」という事柄は、第Ⅱ領域になります。


 第Ⅰ領域に疲れ果てた人が、息抜きに「とりあえず音楽を聞こう、モーツァルトがリラックスにいいらしいので・・・」という動機で聞く場合、第Ⅳ領域になると思います。


 あなたがキリスト教信仰者でなおかつ音楽が好きであるなら、バッハのマタイ受難曲を「イエスをよりよく理解したいために」という動機で聞いた場合、とても重要な第Ⅱ領域の活動となるでしょう。


 このように、同じ「音楽を聞く」という活動であったとしても、第Ⅱ領域に入るか・第Ⅳ領域に入るかは、「人それぞれ」ということになります。


 第Ⅱ領域の活動を大切にした方が良いのですが、「ON」、言い換えれば、「○○しなければならない」という意識が強いならば、やらない方が良いかも知れません。それは、本来のあなたが望んでいる事柄ではないと思うからです。


 人生は、嫌々生きるものではないはずです。生きたいから生きるが生きる事の動機となるべきです。しなければならないことをこなす為に、人生があるわけではありません。そもそも、しなければならないことがあるかどうかを疑うことから初めて欲しいと思います。


 「試験勉強しなければならない」とよく子どもが言いますが、試験勉強などはしなくても良いことです。試験勉強は、試験対策であり、勉強ではありません。利益を得るための対価として、試験対策という労働を提供しているに過ぎません。


 本来勉強は「趣味」であるはずです。「好きだからする」のが「勉強」です。嫌なことならしない方が良いです。嫌々やっても身につきません。特に暗記ものは無意味です。そんなものはモバイルPCに任せましょう。


 では本来の勉強は「何の為にするのか」について考えて見ます。それは、「何を自分の第Ⅱ領域に入れるかを吟味できるだけの智慧を身につける為」だと思います。


 長期的なお金儲けにつながる手段(資格取得や投資の勉強等)を第Ⅱ領域に入れる方も多いと思いますが、「全世界を手に入れたとしても、己の命を失ったら何の価値があろうか」(byイエス)という言葉があります。全世界の資本を自分のものにしたとしても、命を失ったら、何の価値もないと思います。(ただ、ここでの命は、肉体の命だけを意味しているのではなく、精神的な命に重きが置かれています。)


 「生きたいから生きる」を動機にして、永遠の命を探求する生き方が、最高の生き方だと思います。「OFF」のまま、「第Ⅱ領域」で活動し続ける生き方です。


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 2011/08/25(木)


 「人に対しては効果性を考え、物に対しては能率を考えるべきである」bスティーブン・R・コーヴィー



 「人に対しては効果性を考え、物に対しては能率を考えるべきである」bスティーブン・R・コーヴィー


 この言葉も、7つの習慣に出てきたものです。効果性と効率性については、過去の記事を参考にしてください。


 この言葉は、とても大切だと思います。物のもっとも具体的な物は、お金でしょう。お金は能率性を考えて使うべきです。しかし、お金である別の品物に変えても効果性は低いと思います。


 具体例を挙げてみます。例えば、新発売のスポーツシューズが欲しいと思って、それを買ったとします。しかし、あなたがジョギングをしないのであれば、そのスポーツシューズの高機能は無駄になります。そのスポーツシューズの高機能が、価格に占める割合は高いはずです。その機能を活用しないのであれば、過剰な投資になってしまいます。


 そのお金を書籍代に変えた場合について考えて見ます。書籍は、スポーツシューズや電子商材等に比べ、非常に安価です。その上、長年読まれているものなどは、その知的価値は非常に高いものとなります。


 私は、「7つの習慣」をamazonで中古を買いましたが、その書籍代1500円は、非常に高い効果を上げています。


 お金を何かに変換するのではなく、「お金を使ってお金を生み出そう」という人もいます。投資やギャンブルがそれに当たります。


 投資で儲けるためには、非常に高い能力が必要であるため、ある種の価値創造とも言えますが、お金をお金のまま増やすだけでは、意味がありません。ある時に、使うという決断をする必要があると思います。その時は、先ほどの例で書いた内容が生きてくると思います。


 また、「子どものために資産を残す」という人もいると思いますが、過去の例から言って、資産だけを受け継いだ末裔というのは、大成しません。ただ、物的資産と共に、資産を築いた人の叡智までを資産として残した場合は、大成していると思います。


 子どもに残すべき資産は、一人で生きていけるだけの能力であり、良い親に自ら成っていけるような教育だと思います。


 お金をお金に換えるもう一つはギャンブルです。これは、Ⅳ領域の活動である上に、結果はほぼに左右されます。自分の労力を変換したお金を、一時のⅣ領域の活動での憂さ晴らしに注ぎ込むのは、愚の骨頂です。お金をドラッグ等に変換するのも同様です。やめた方が良いです。


 そして、ギャンブルやドラッグは個人を不幸にするだけでなく、それらを運営する組織は反社会的なものであるため、社会に対しても害を成す活動と言えます。それですので、自分と社会の為に、ギャンブルやドラッグには手を出さないでください。


 結論を言うと、最も効果性の高いお金の使い方は、ワクワクすることにお金を注ぎ込む事だと思います。


 まあ、ワクワクすることはギャンブルだ!という人もいることは認識していますが、そのような内面の方は、本に投資をすることをお薦めします。「お金の本への投資」と「時間の読書への投資」はどちらも、第Ⅱ領域の活動です。ここに投資をして、自分のワクワク感を洗練させることが、まず必要です。


 そのように本へ投資をし、信念を変化させてから、実際のお金の投資先を決めるべきだと思います。


 しかし、資格取得のための講座等への投資は無駄ですからやめましょう。なぜなら、資格取得は自らを優れた労働者にするだけのことです。優れた工具は工具としての価値はありますが、芸術品の価値はありません。ペンチやドライバーを目指すのではなく、美術館に飾られるような人生を目指しましょう。


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 2011/08/24(水)


 7つの習慣から見る、時間管理の4つの領域について



 今、スティーブン・R・コーヴィーさんの「7つの習慣」という本を読んでいます。その中で以下のような表が載っています。

 緊急である緊急でない
重要であるⅠ領域Ⅱ領域
重要でないⅢ領域Ⅳ領域



 この中で、最も重要な領域は、Ⅰだと考える方が多いでしょう。しかし、本当に大切にしなくてはならないのはⅡの領域だそうです。以下詳しく内容について述べてみます。


 Ⅰは、「重要であるand緊急である」項目です。これらに該当するのは、上司からの依頼、重要な顧客からのクレームなどが対応します。


 Ⅲは、「重要でないand緊急である」です。例えば、鳴っている電話などです。


 Ⅳは、「重要でないand緊急でない」です。例えば、何となく見ているテレビやギャンブルなどです。


 今の世の中では、領域Ⅰを効率よく進めることが「良し」とされています。忙しいを連発する人は、この領域に囚われています。この領域に囚われている人は、その反動からoffの時間に領域Ⅳに逃げ込みます。「土日に気分転換して、ウィークデイに備える」という人は、この領域に含まれます。


 Ⅲの「重要でないand緊急である」は誰しもが対応すると思います。


 このように見ていくとⅠ、Ⅲ、Ⅳ領域の事項は、「否が応でも対応してしまう事項」と言えると思います。これに対し、Ⅱ領域の事項は、「本人がやる気を持たないと対応できない事項」と言えるでしょう。


 Ⅱは、「重要であるand緊急でない」というものです。これに該当するのはなんだかお分かりになりますか?


 例えば、「健康管理の為に行うフィットネス」「プロジェクト遂行能力を高める為の自己啓発」などが該当します。


 Ⅱ領域について、「時間ができたらやろうと思っているんだけど・・・」と多くの人がお答えになると思いますが、Ⅰ領域に囚われている人に時間はできません。Ⅰ領域の事柄で、自分の手帳等を一杯にしてしまう人には、絶対に時間はできません。


 大切なのは、Ⅱ領域の事柄を最初にスケジュールに書き込むという事です。Ⅰ、Ⅲ領域の事柄は、ほおっておいても対応してしまいます。Ⅳ領域に至っては、そもそもやる必要はありません


 それですので、Ⅱ領域を大切にすることが、自分を高める為に必要なことなのです。


 自分に取ってのⅡ領域の事柄は何なのかについて、考えて見ては如何かと思います。


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 2011/08/23(火)


 「効果性」と「効率性」の違いはお分かりになりますか?



 「効果性」と「効率性」の違いはお分かりになりますか?特に「効果性」というのは、言葉さえ聞いたことはない方が多いと思います。自分も単語としては使ってはいませんでした。今読んでいる「7つの習慣」の中で述べられている言葉です。


 一方、「効率性」については、多くの方が耳にしていると思います。なんでもかんでも効率化が求められ、「家族の団らんですら効率化するのですか?」と効率化を信奉する方には申し上げたいと思います。


 「効率化」を進めるには、ある一つの前提が必要です。それは「時間には限りがある」という信念を受け入れるという事です。時間が無限でるなら、「効率化」は意味がありません。時間は本当に「限りがある」のでしょうか?


 仏教の教えでは、「輪廻転生」という考え方があります。すなわち「一生」は限りはありますが、それが複数回存在するため、ほぼ無限と考えて良いでしょう。そして、その「輪廻転生」から抜け出すには、悟るしかないのです。


 悟った場合、輪廻転生のループから抜け出し、かつ、肉体を脱ぎ捨て、極楽浄土、キリスト教で言うならば、天国に行くことになります。その時には、永遠の中に生きるようになるために、時間の観念は消え失せます。そのため、効率性は意味のない概念になります。その時、必要なのは効果性だけになります。


 それでは、「効果性」とは何でしょうか?


 とりあえず、「一回こっきり」なおかつ「肉体のみ」という生死感で、効果性について考えて見ます。


 このような条件下の効果性は、「望んだ自分になる」とか「望んだ経験をする」を「どれだけ実現できたか」ということになると思います。


 「望んだ自分になる」について考えて見ます。自分を含め、多くの人は「複数の役割」を持っていると思います。父親とか夫とかです。それぞれにおいて、目標となる自分があるはずです。それぞれの役割において、いくつの目標に到達できたかが、効果性になると思います。


 「望んだ経験をする」について考えて見ます。「海外旅行をする」とか「○○で優勝する」とかに当たります。経験についても、多くの人は幾つもの面で、期待する経験を持っているはずです。それのいくつにおいて、望んだ経験ができたかが、効果性になります。


 死ぬときにおいて、効果性が高かった人生が「悔いの残らない生き方」になると思います。


 輪廻転生型の生死感を持っている人に取っては、悔いの残った部分は「来生での課題」になると思います。


 「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」byカンジー


 輪廻転生型の生死感で、なおかつ、効果性を最も重要視した生き方が、このガンジーの言葉だと思います。


 今世の中では、効率性偏重主義に陥っていると思います。PDCAサイクル(Plan→Do→Check→Action)を重視するのは良いのですが、このサイクルを短くしすぎると大きな事はできなくなります。企業においては、四半期毎にこのサイクルを回そうとしますが、その場合、その上の階層のPDCAサイクルが重要になります。


 この階層をどんどん上に上げていくと、「永遠に生きる自分おいて、永遠に存在する宇宙において」というスパンに行き着くはずです。この階層では、サイクルはなくなります。PlanとDoのみになると思います。Checkする必要も、Actionする必要もなくなると思います。簡単に言うと、神の判断基準だと思います。


 わかるかな?わかんねぇ~だろぉなぁ~ by 松鶴家 千とせ


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 2011/08/19(金)


 「意味のないことを効率よくやることほど意味のないことはない」byピーター・ドラッカー



 「意味のないことを効率よくやることほど意味のないことはない」とはマネージメントの神様と言われているピーター・ドラッカーの発言だそうです。本当に、このことは真実だと思います。昨日は、意味のあることについて書きましたが、今日は意味のないことについて書いて見たいと思います。


 皆さんは、意味のある仕事をしていますか?


 自分のやっていることを意味がないというのは難しいですが、多くの場合、間違いなく意味がない仕事です。


 私の趣味にゴルフがありますが、ゴルフマザーテレサの活動を比較した場合、どちらが意味がある仕事でしょうか?多くの人が、マザーテレサの仕事と言うでしょう。しかし、経済中心主義の考え方で言えば、ゴルフの方が意味があることになります。なぜなら、マザーテレサの仕事に投資(寄付)しても、利潤を生みませんが、ゴルフクラブを作っている会社に投資すれば、利潤を生み出すからです。


 ただ、このような比較は現実的でないので、レベルを下げます。ゴルフの基準で意味のある仕事を考えて見ます。


 企業イメージを上げ、そのことによって売り上げを上げる為に、トーナメントを企画することは、意味のある仕事になります。しかし、売り上げに貢献しないのであれば、多額の運営費と賞金を必要とするトーナメントは、意味のない仕事となります。


 しかし、末端で働く人は、トーナメントの協賛スポンサーを探すために、一生懸命営業します。多くの人は、その努力を評価してくれと言うでしょう。しかし、目的がスポンサーの獲得であるならば、100社回って成果0より、1社回って1社獲得の方が意味があります。


 一生懸命頑張る営業が回った100社が、的外れの100社であった場合、本当に意味のない仕事になります。例えば、全国的な企業イメージを意識しない地方の中小企業を100社を回るような場合です。こんなところを回っている営業は、無能です。あなたが経営者であった場合、このような営業は解雇すべきです。


 しかし、問題なのは、上司がこのような判断をする人の場合です。あなたが、サラリーマンであった場合、意志決定は上司や、そのまた上司が行い、自分とは関係のないところで自分の当面の業務が与えられる場合が多いと思います。その時は、その仕事をしないという決断をするべきです。


 ただし、本当にしないと解雇されてしまいますので、適当に、問題が出ない範囲でその仕事に取り組むべきです。決して、ユーキャンとかに刺激されて、その分野で資格取得等に励んではなりません。資格取得によって得られる結果は、無駄な仕事を更に押しつけられ、更に時間を取られるようになるだけです。あなたが目指すべき先は、「リーダーとしての資質」であるはずです。以前の記事で書きましたが、優れた「マネージメント能力」を持っていたとしても、誤ったジャングルを切り開くのであれば、意味はないのです。


 ですから、仕事は手を抜いて、自分の資質を向上させることを考えるべきです。一日最低8時間は仕事に拘束されるかも知れません。しかし、脳までを8時間拘束させる必要はありません。体は職場に置いておいて、頭は別のことを考えるべきです。そうすることで、あなたの環境が変化していくと思います。


 くだらない仕事を拒否し、興味のある仕事だけを選択し続けて行くことによって、あなたにはくだらない仕事は来なくなるようになると思います。そんな仕事は、ユーキャン等で資格を取っている「優秀な人」にやってもらえば良いのです。


 ここまでお読み頂いたなら、意味のある仕事と意味のない仕事の違いをお分かり頂けたと思います。今日から、意味のある仕事に取り組むようにしましょう!


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 2011/08/18(木)


 「最も大切なことは、最も大切なことを、最も大切にすることである」byスティーブン・コーヴィー



 「最も大切なことは、最も大切なことを、最も大切にすることである」とは、ビジネス書としては、記録的なヒットとなった「7つの習慣」を書いたスティーブン・コーヴィー博士の言葉です。含蓄ある言葉ですよね!?


 多くの人は、「他人が決めた、たいして重要でないことで、スケジュールを一杯にして、大切な事を後回しにしている」と思います。これって、なんのために生きているか?ということを自問しないことの結果だと思います。


 これよりマシな生き方は、「自分が決めた、たいして重要でないことで、スケジュールを一杯にして、大切なことを後回しにする」だと思います。この場合、「いつ大切なことを出来る時が来るの?」と思います。それは、明日ですか?それとも老後ですか?


 退職後、第二の人生を歩むというような表現も聞かれますが、「第一の人生はどのようにあゆんだのですか?やり残したことはないですか?」と問いたいと思います。例えば、退職後始めたジョギングからフルマラソンを目指すという目標をもったとします。しかし、フルマラソンを走るのだったら、年齢が若い時の方が有利なはずです。


 旅行などについても、同様なことが言えます。「お金がなく、海外旅行に行けない。長期休みも取れない。」と言ってその夢をあきらめる若年層の方がいらっしゃいます。しかし、その人がお金と時間が出来た老後は、体力がなくなっています。「もう遠くに行く元気はない。足も悪くなっている」と言っている高齢者も多いです。


 先の2つの例、どちらにおいても、夢を実現できないという事になります。それはやりたいことを後回しにした結果です。


 大切なのは、「最も大切なことを、最も大切にする」ということだと思います。ここで、問題なのは、「あなたは、最も大切なことを明確にしていますか?」という事です。


 目の前に起こる些細なことに対応するだけで、大切なことを考えない生活をしていないでしょうか?


 大切なこととは、「自分の弔辞の時に、自分が大切にしていた人が、読み上げてくれる内容」と考えればわかりやすいと思います。「明日死ぬ」という状況から選択する内容には、「強姦」という選択肢も含まれる人もいると思います。しかし、自分の弔辞を思い浮かべるのであれば、その刹那的な選択肢は消えるでしょう。


 そして、その弔辞を読むのはあなたが大切にしていた人です。すなわち、あなたが誰かを本気で愛したという事実がなければなりません。今の世の中は、地位や物的充実感を求めるあまり、一生独身をとおす人や子どもを意識的に設けないという人もいます。しかし、そのような選択をした場合、最も大切な人を持たない人生になってしまう可能性があります。


 マザーテレサが来日した時は、今のような「無縁社会」に日本はなっていませんでした。しかし、その時でも路上生活者はいました。マザーテレサは、その事に対してメッセージを述べました。以下のような内容です。

「日本に来てその繁栄ぶりに驚きました。日本人は物質的に本当に豊かな国で す。しかし、町を歩いて気がついたのは、日本の多くの人は弱い人、貧しい人に 無関心です。物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。精神的には大変豊か な人たちです。物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人 たちです。愛の反対は憎しみとおもうかもしれませんが、実は無関心なのです。 憎む対象にすらならない無関心なのです。」



 無関心は、他人に対してだけではありません。今は、家族内においても無関心がはびこっています。お父さんは、家のローンを返すために、深夜残業や休日出勤等に励みます。家族のためと思い、身を粉にして働きます。しかし、子どもはお父さんと一緒に遊園地に行きたいと思っているのかも知れません。


 子どもがそのように慕ってくれるのも、幼い時だけです。思春期を迎えた子どもは、家にあまり居ない・接触の少ないお父さんをうとましく感じています。その時、子どもがいじめに遭い、助けを求めていたとしても、その子の事を理解してあげられるお父さんは側には居ないのです。


 その子が、いじめを苦に自殺をしたとしたとします。その時初めてお父さんは自分が最も大切にしたいと思っていたものを大切にしていなかったということに気がつく事になります。ですが、その時に気がついても遅いのです。


 これは、あくまでもたとえ話ですが、同様な生き方・優先順位の付け方をあなたはしていませんか?もし、思い当たる節があるようでしたら、大切な人に読んでもらう弔辞について考えて見てください。


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 2011/08/17(水)


 唯脳主義者ではないですが、脳の使い方を工夫しましょう!



 今の世の中は、唯脳的だと思います。兎に角、「脳によい」というと何でも売れる時代です。


 「モーツァルトが胎児の脳の発育によい」などと聞くと、クラッシックに全く興味がないのに、モーツァルトを聴く妊婦さんもいるそうです。クラッシックが嫌いなのに、モーツァルトを聴くのであれば、ストレスを感じ、返って胎児の発育に良くないと思うのですが・・・


 また、脳の発育によいとか言って、嫌いな食べ物を食べたりもするそうです。健康の為に、嫌いなものを食べる人もいますよね。まあ、脳や体の状態を良い状態に保とうとするのは良いですが、嫌いなものを食べたり・好きなものをやめたりするのは、「如何なものか」と思います。タバコのように、明らかに悪い物であるなら、話は別ですが・・・


 「右脳を開発して、速読をマスターしよう!」


 というようなコマーシャルも見受けられますが、早く読んでも身につかなければ意味がないでしょう。ただ、それらの教材を売っている会社は、「早く読めて、なおかつ、頭に残ります」などといいますが、世の有能な方が「それらの速読を学んでいない」ということが、それらの教材の無意味さを明らかにしていると思います。


 本を楽しみのために読んでるのであれば、早く読んでしまうということは、もったいないということにもなります。速読等が持てはやされるのは、受験偏重主義・効率偏重主義のためだと思います。ですが生き急いでも意味はないと思います。大人になったらただの人というような言葉もありますが、優秀な学校を出たとしても、ただの人になってしまっては意味がありません。


 ただ、ここでいうただの人というのは、一般人という意味ではなく、内的に普通の人という意味です。内的に普通の人とは、生きるとは?とか善とは?とかを考えない人という意味です。学問は、地位や学歴を求めるためにするものではなく、これらのことを探求するためのものだと思います。


 平たく言えば哲学するという言い方が出来るでしょうが、哲学するだけでは不十分です。自分の哲学を構築しながら、その哲学を生きていくことが大切だと思います。


 その時に大切な脳の使い方は、ひらめきを感じ取る力だと思います。あえて、異分野の本を沢山読むと、それらの知識が脳の中で有機的につながっていくと思います。そうすることで、新たなことを創造する事が可能になると思います。


 今の学校教育は、これらの脳の使い方に重きを置かず、記憶装置としての能力のみを測っていると思います。記憶装置としては、コンピュータにかなうわけがないので、必要があるならノートパソコンを携帯すればいいと思います。ググったり、wikiったりすることで、色々なことを知ることが出来ます。ですから、ネットとメモリーに出来る仕事は、それらに任せるべきです。では、それらのツールが整っているとき、必要な脳の使い方はどんな使い方でしょうか?


 それは、演算装置としての脳受信装置としての脳だと思います。


 演算装置としての脳は、コンピュータによって得られた情報を、文字どおり演算する事です。この使い方は、出来ている人も少なくありません。しかし、受信装置としての脳の使い方は、ごく僅かな人しか使えていません。


 受信装置としての脳とは、アイディアを捉える能力です。偉大な発明家や指導者は、何かを感じ取っています。ひらめきや第六感と言われるようなものです。先の演算能力は、コンピュータが高度に発達したら、コンピュータに置き換えることが出来るかも知れません。しかし、受信装置としての脳は、コンピュータに置き換えることは出来ないです。


 この脳の使い方を開発するには、リモートビューイング等の訓練が良いのだと思いますが、この辺は自分も習得していないので、あまり詳しくは言えません。


 まあ、記憶装置として脳を使うのだけはやめましょう。そのような使い方をしていると、インスピレーションは生まれてきません。極めて理知的に分析して、優先度を出し、最終的には感覚を頼りに自分の進む方向性を決めましょう!それを実践していくことによって、受信能力を開発することが出来ていくでしょう。


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 2011/08/15(月)


 ダメな人の特徴は、出来ない理由を上げることだと思います。出来る方法を探す努力をしましょう!



 ダメな人の特徴は、出来ない事に注視することにあると思います。試して見る前から「○○のために出来ない」とか言ってしまいます。これはネガティブな反応です。得策ではありません。


 わたしはかつて「研究開発業務」に従事してたときに、このことを徹底的に上司に指摘されました。この上司に恐る恐る


 「○○のために、出来ません・・・」


と報告すると、


 「本当にそうか?全ての可能性を考えたのか?出来ないというのは全ての可能性を考えた上でしか言えない。だから、出来ないというのはむずかしいんだよ。出来るっていう方が簡単だ。出来る一つの方法を考えれば良いんだから。」


と指導されました。この上司は本当に怖かったのですが、今となっては自分を鍛えてくれた恩人です。


 このことはエジソンの言葉でも有名です。「1%のひらめきがあれば、99パーセントの無駄な努力をしなくてもよい」


 ダメな人は、99の無駄な努力をするのです。出来ないことをしきりに口にするのです。そうではなく、出来る1つの方策を見つけることに力を注ぐのがよいと思います。


 客観という言葉がありますが、真実の意味で客観はありません。なぜなら、あなたが観測しない限り、その事実は存在しないからです。これは、量子力学が表している世界ですが、事実です。位置と運動量は観測者がいない限り、定まることがなく、確率でしか表すことが出来ません。あなたが、その量子を観測したとき、それが決定するのです。


 タゴールとアインシュタインの会話で、「あなたが見ていなくても月は存在している」とアインシュタインはタゴールに言ったのですが、「あなたがいなければ、月に意味はない」というような言葉をタゴールが返したと「人間の宗教」(タゴール著)で読みました。


 【闇の支配者】がどれだけ世界を掌握しているかは不明です。B層の方にとっては【存在しない存在】だと思いますが、陰謀論者の方にとっては、【世界をシナリオどおりに動かしている人】と思われています。


 ですが、世界をどのように捉えるかについても、あなたの存在、あなたの価値観、あなたの知識が不可欠なのです。


 宇宙はどこに存在しているのでしょうか?



 宇宙が存在しているのは、あなたの意識の中です。



 パラレルな宇宙という言葉はご存じでしょうか?多次元宇宙でも良いです。宇宙は複数同時に存在しているという考え方です。これは机上の空論ではないと思います。


 実際、今宇宙は分離し始めていると実感しています。感受性の強い人であるなら、そのことを感じ始めていると思います。そのピークが2012年12月21日なのだと思います。暦の誤りで、2011年10月28日かもしれませんが。


 【闇の支配者】達はそのことを知っており、デンバー等の空港の地下に、地下シェルターを作っています。そこに入る為には、パスと多額なお金が必要です。ですから、わたしたちは、地上にいて変容するものとなりましょう。


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 2011/08/13(土)


 創造性のない環境で発揮する創造性こそ、真の創造性だと思います。むずかしいとお感じになりますか?



 創造性のない環境で発揮する創造性こそ、真の創造性だと思います。


 「自分の仕事は、単純作業だから創造性なんて、発揮できないよ!」とお答えになる方もいらっしゃると思います。確かに、コピー機の前やレジの前にいる人にとっては、そのように感じるかも知れません。しかし、コピーの取り方を工夫することで、上司の目にとまるかも知れません。最上の笑顔をもって接客することで、ステップアップできるかも知れません。


 兎に角、どのような環境であっても「創造性」は発揮できると思います。会社や上司のせいにして、自分の立場を守っても良いですが、環境のために創造性を発揮できないというのは「単なる言い訳」だと思います。


 ビクター・フランクルという人は、ユダヤ人の精神科医でした。彼は、強制収容所に収監されていましたが、その中で「人間研究」をしたのでした。終戦後、彼はその時に解明した内容をもって成功しました。


 ベートーベンは耳が聞こえなくなりましたが、その後も名曲を書き続けていました。そんな彼の最期の言葉は、「天国では耳が聞こえるようになったらいいな」だったそうです。恨みを述べた訳でもなく、軽い期待を述べただけです。


 確か「ハノイ・ヒルトン」という映画だったと思いますが、その映画でも教えられたことがありました。舞台は、ベトナム戦争での捕虜収容所です。捕虜にされたアメリカ兵が、信仰を基に、優れた生活を送ったというものでした。


 創造性を発揮するために、「外界」は関係ありません。この点を多くの人が誤解しています。繰り返しになりますが、環境が悪いから「創造性が発揮できない」という事はないのです。創造性は、「あなたが何かを創造しようとする性質のことを意味する」と思います。すなわち、目の前の事にただ追われている人は、どんな環境におかれても「創造性を発揮することはない」のです。


 優れたコンピュータや、音響機器、キャンバスや絵の具等々、どんなものが目の前に置かれたとしても、あなたが「何かを生み出そう!」と動き出さなければ、「何も生まれない」のです。



 光あれ!



 天地創造の物語での最初の言葉です。神が発したと言われている言葉です。神とて、「自ら動いて創造する」のです。ましてや、肉体という制限に収まっている人間が、何かを創造するには努力も必要でしょう。しかし、その原動力は「創造したい」という想いだけです。では、なぜその想いが生まれるのでしょうか?


 それはただ「それがしたいから!」という動機以外にはないと思います。「やりたいからやる」以上に強いインセンティブを与えてくれるものはないでしょう。


 でもやりたいことだけをやるような人間は、ダメになっちゃうんじゃないの!?


 という反論が聞こえてくると思いますが、イエスや釈迦でも、やりたいことをやるだけだとしたらダメになってしまうのでしょうか?ガンジーもマーチンルーサーキングも「やりたいことをやっただけ」ではないでしょうか?イチローのことをかつて記事にしましたが、イチローとて「やりたいことをやっているだけ」だと思います。


 ただ、「克己」する心がない限り、落ちていくというのも分かりますが・・・。ですが、どんな経験であっても、それをプラスに変えることはできるはずです。「やりたいことやる」を追求する過程で、AVを見まくる、風俗に行きまくる、酒を飲みまくる、等々世の中で非難されることを三昧しても良いと思います。いつかは飽きるでしょうから。あきないのであれば、その人は、そのレベルまでであったまでです。


 ですが、やりたいことやって死ねれば本望でしょう。今の世の中は、空気などを読み・他人の顔色をうかがい・皆がやっている云々言って、自分の心に不誠実な人が多いと思います。そんな事を気にする前に、自分の心に忠実でありましょう。


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 2011/08/12(金)


 リーダーとマネージャー、どちらが大切でしょうか?あなたは、どちらを目指しますか?それとも、優れたプレイヤーを目指しますか?



 もしドラとかがはやり、マネージメントの重要性が叫ばれています。しかし、優れたマネージャーがいたとしても、優れたリーダーがいなかったならば、全ては徒労となるでしょう。簡単な例を挙げてみたいと思います。


 ジャングルであるチームがいるとします。このチームの使命は、ジャングルを切り開き、都会にたどり着くこととします。マネージャーは、「この木を切れ!、チェンソーを使え!、3班に分けて交代制でおこなえ!」等々を述べる人のことを言います。そのチームはとても効率よくジャングルを切り開いて行くでしょう。しかし、その進んでいる先は、森のより奥かも知れません。


 このときのリーダーの働きは、最も高い木に登り「そっちではない!反対方向に進めっ!」とか言う人のことを言います。両者の違いをお認め頂けるでしょうか?


 今の時代は優れたリーダーがいません。効率化は叫ばれていますが、「どちらに進むべきか?何を目的とすべきか?」について明確な答えを示してくれる人が少ないと思います。


 これは、会社や政治家だけに要求される能力ではなく、各個人も身につけなければならない能力です。「お金が欲しい」という人がいますが、「何の為に」を明確にしている人は少ないと思います。その点を考えれば、求めるものは「お金ではない」という結論を見出す事になるかも知れません。


 「高学歴」を求める人がいます。しかし、「何の為に」を考える人も少ないです。「安定した職業に就きやすくなるから」と多くの人が答えるでしょうが、「何の為に安定したいのか?」についても考える必要があります。


 経済的に自立できても、「不満足の人」も多いでしょう。「無縁社会」という言葉が現れて、結構な日数が経ちました。彼らの中にも「安定」している人は少なくありませんが、精神的には「不安定」です。彼らが本当に求めているのは、経済的な安定ではなく、精神的な安定なのでしょう。


 ユーキャンのコマーシャルは、ジャングルの例で言えば、「最前線でチェンソーを上手く使う人になるために」をアピールしています。しかし、優れたプレイヤーになったとしても、マネージャーやリーダーが不在では、そのプレイヤーの能力は「意味のない物」になってしまいます。まあ、優れたプレイヤーであることに自己満足することはできますが・・・


 まずは、各人が自分の人生において、優れたリーダーになることを目指すべきです。優れた自己のリーダーになるためには、「何の為に生きるのか」を明確にしなくてはなりません。その点について、あなたは明確な答えをお持ちですか?


 スピリチュアルな人の中には「アセンションすること」と答える人もいるかも知れません。しかし、アセンションしようとしても、それを目的にして生きている限りアセンションすることはできないでしょう。自分を救うためには、他人を救う方が効率的です。他人を救うことで、救われたという気持ちが自分の中に起こってくるでしょう。


 悟りを開こうとして、瞑想する人もいると思いますが、社会から乖離して悟りを開こうとしても、それは「仮想現実においての悟り」に過ぎないと思います。人を裁いてしまうような環境下で、人を裁かないようにすることが、悟りへの道だと思います。


 「裁く正当な権利があって裁くのは正義かもしれないが、裁く正当な権利があって裁かないのがである」とシンドラーのリストという映画で、主人公がゲシュタポに向かってユダヤ人を救うために行った言葉です。裁く正当な権利はゲシュタポにはありません。それは主人公にも分かっています。しかし、このときの主人公の想いは、「ただこのユダヤ人を救いたい」だったのです。


 サンデル教授が宣うような机上の正義を超越している心境です。このような心境になれて初めて「アセンション」できるのだと思います。アセンションを煽り、多額のセミナー代を集める誤ったスピリチュアルリーダーがいますが、彼らの教えはある面あっているかも知れませんが、根本の点で間違っていると思います。その点を認識した上で、セミナーに参加するのは意味があると思いますが・・・


 兎に角、自分のリーダーになれるように精進しましょう!うまくマネージメントできなくても、リーダーになれたなら、目的地には近づいて行けるのです。徒歩で始め、いずれは光の速さで歩みましょう。


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 2011/08/11(木)


 飲む気のない馬を川辺に連れて行って無理して飲ませる必要はないか?



 水を飲みたくない馬を水飲み場に連れて行っても仕方ないとは昔から言われている言葉ですが、私は昔から嫌がる馬にもそれが善いと思われる事であれば、無理して飲ませようとしていました。しかし、今は飲む気がないなら、やっぱ無理?と思っています。


 「よく分からないから今のままでいい!」


 現状肯定型のダメな人がよくする判断です。奴隷であっても現状維持が良いのでしょうか・・・。自分の気持ちを変えるだけで、自由になれるというのに、変化を怖れ奴隷であることを続けるのでしょうか?


 現在は情報化社会と言われています。このような社会においても、情報源をテレビと新聞しか持たない人がいます。特に国営放送や大手新聞の言うことは本当だ!と疑わない人が多いです。


 人工地震という言葉を聞いたことはあるでしょうか?


 「バッカじゃないの?そんなものあるはずないでしょう!」と口角泡を飛ばし、宣う人がいます。そのように宣う人は「B層」と呼ばれてしまいます。大手新聞でも人工地震の記事は取り上げられていますし、第二次大戦時には兵器として使われたと思われています。また、地震のメカニズムの解析のためにも、人工地震は起こされています。これは事実です。


 それを踏まえた上で、人工地震を否定するならまだ良いのですが、否定する多くの人はこれらの事実さえ知りません。3・11は人工地震だというのはネットで議論されている内容ですが、これも多分本当です。ですが、偏向報道をする新聞やテレビだけを見ている人は、このような説さえ知りません。


 このような人を覚醒させるため川辺に連れて行こうと試みるのですが、多くの人が「バッカじゃないの?」という判断をします。まあ、このレベルの話を理解するには、一朝一夕には行きませんので、それは頷けます。しかし、日々の仕事においても変化を嫌う人が多すぎます。今の職場で特に思います。


 前例踏襲を無条件に是とし、あたかも自分がエライかのように錯覚しているB層だらけです。その中で、創造的な姿勢を維持するのには結構エネルギーが必要です。その中で、せめて仕事位は変革をもたらせる人になって欲しくて、色々と機会を提供するのですが、笛吹けど踊らずです。


 「もういっか?自分と自分の家族だけが変革されればと・・・」と思います。機会は提供しているのですが、その馬に飲む気がないのです。どーにもならないですよね?


 愚痴っぽくなってしまいましたが・・・


 昨日と同じ明日が必ず来ると思う事は、今の時代ナンセンスです。


 太陽系が平面上を運行しているなんて考えるのはナンセンスです。太陽系は螺旋を描きながら、宇宙を巡礼しているのです。このように考えるのは、ナシーム・ハラメインさんであり、J・C・ガブリエルさんですが、私も同じように思います。


 BASHARの言うように、地球は全宇宙が体験したことのないことをこれから体験するのです。その気構えをもって、これからの時代は生きて行かなくてはいけないと思います。


 しかし、このような考え方も飲む気がその馬にないのであれば、馬の耳に念仏です。どーにもなりません。どんな巡り合わせか分かりませんが、この記事を読んだ方は、それなりのがあったのだと思います。これを機会に変容を受け容れる人になってください。お願いします。


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 2011/08/10(水)


 人ができることをやっても意味がないと思います。自分だけしかできないことを優先させましょう!



 人ができることをやっても意味がないと思います。自分だけしかできないことを優先させましょう。とは言っても、現実は「上司から言われたことをこなすだけで、いっぱいいっぱいだよ!」という声が聞こえてきそうです。


 もちろん、上司に言われたことをやった方が、人間関係上、良い場合が多いののですが、無駄だと思うのでしたら一応その旨を説明して、納得の上、仕事に取り組んだ方が良いと思います。上司と言ってもあなたより能力があるとは限りません。あなたの方が良い判断をしている可能性もあります。


 それが受け容れられるか・受け容れられないかは、上司の能力と人格にも係わってくるので、良い案が必ずしも選択されるとは限りません。しかし、採用される可能性を高めることはできるはずです。


 私は、下請けに出せる仕事は、下請けに出すように心がけています。ただし、ビジネス上の仕事ではありません。仕事ではぺーぺーですので、下請けはありません。家庭内の仕事を下請けに出しています。下請けは、家内と子どもです。


 子どもには、コンピュータの設定などをやらせています。自分でやった方が安全であり、かつ、早いのですが、それでは家庭内の成長がありません。子どもに発注することで、子どもが成長します。


 家内には、オークションの発送や小物の買い付けなどを発注しています。これも、自分でやってもよいですが、売り上げが家計に入るため、家内にも働いてもらっています。


 他人に任せられることは頼み、家庭内でも自分にしかできないことをやるようにしています。例えば、AV機器の配線やコンピュータのLAN構築などは、家庭内で自分にしかできないため、自分でやります。また、新たに発生した次案は自分が対応するようにしています。そうすることで、自分が成長できます。


 ビジネス上の仕事でも可能な限り、自分にしかできないことを組み入れるようにしています。担当した業務では、極力オリジナリティを出すようにしています。長く私のブログを読まれている方は、私の職業をお分かりであるため、その仕事にオリジナリティを入れるのが、如何に難しいかがお分かり頂けると思います。ですが、その中でオリジナリティを出すように心がけています。


 人間は、本来、誰しもがオリジナリティあふれる存在だと思います。それなのに、安全とか安心を求め、皆と同じ物・事を求めます。そのような行動様式になることを、大人になるとも世間様は言うようです。しかし、そんな人生なら生まれてきた甲斐がありません。やりたいことをトコトン極めるのが人生だと思います。


 歳を取ると時間が早く過ぎるように感じると人は言います。しかしそれは、日々の中に変化と成長がないからだと思います。毎日、チャレンジし変化しているなら、時間はゆっくり過ぎていきます。一日はすぐに過ぎてしまいますが、そのような生活をしている人は、一年前とは別人のような自分になっているはずです。


 ただ、成長が人生の目的ではありません。霊的成長に限って言えば、ある面正しいですが、それでも間違っています。人生の目的は、楽しむことだと思います。例えば、ゲームです。上手くなることもゲームの醍醐味ですが、上手くなれるとしても楽しくなければそのゲームは意味がありません。


 坐禅をすることで、霊的成長ができるとしても、毎日12時間・50年もただ一人で坐り続ける人生は意味ないじゃん!と思います。でも、そのような人生を歩んでいる人もいます。


 オリンピックの金メダルは意味があると思います。しかし、そのためだけに全てを犠牲にして、かつ、喜びのない人生だとしたら、その金メダルは意味がないと思います。たとえ、三流選手で終わったとしても、その競技を心から楽しめたら、それによって人間的に成長できたら、その競技人生は、意味のあるものだったと言えると思います。


 何をやるにも楽しむことが大切です。苦しくても辛くても、それを楽しめればOK牧場なのです。


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 2011/08/09(火)


 「蒔いた種は刈り取らなければならない」とは?蒔いたのは誰?刈り取るのはなに?



 「蒔いた種は刈り取らなければならない」という言葉はよく言われると思います。良い意味でも、悪い意味でも。


 良い意味の場合は、「努力はウソをつかない」とか言われます。または、「収穫するには、蒔かなければならない」とかも言われます。この命題についての真偽の議論はひとまずおいておきます。


 この命題どちらも、原因があり、結果があるという構造になっていると思います。仏教的に言うならば、因縁果報ということです。因縁果報とは、直接的な原因であると、間接的な原因であるから、直接的な結果であると間接的な結果であるが生じるということを表した言葉です。


 ちょっと話は脱線しますが、今は夏休みシーズンであり、「家族サービス」という言葉が聞かれます。特に「家族サービスしなくてはいけない」とかも言われます。最悪な表現の一つです。


 エイブラハム・ヒックスは、懲罰的な意味での「カルマはない」と言っています。しかし、「○○しなくてはいけない」という表現は、懲罰的な意味でのカルマを表していると思います。


 「家族サービスって懲罰でしょうか?」


 わたしにも子どもがいます。一緒に遊んでくれとせがまれます。真剣に映画を見ている時などもお構いなしです。このような場合、「ちっ、せっかく映画みてるのに!」と文句を言う人もいると思いますが、私にとっては至福の時へのいざないです。


 人によっては、私のやっていることは「家族サービス」にあたるのかも知れませんが、私にとっては「道楽の一つ」のような感じです。決して、負の意味でのカルマ的な要素はありません。


 「家族サービス」と言ってしまうと、それは「カルマ」のような響きに聞こえます。しかし、私にとって子どもとの時間は「収穫の時」なのです。何をしている時より、大切な時間なのです。


 将来の安定した職のために、今を犠牲にして受験勉強しろという受験勉強熱心な親御さんがいますが、その子の苅り入れの時はいつなのか?刈り入れる物は何なのか?についても、少し考えて頂きたいと思います。


 「将来の安定した職」が刈り入れる物なのでしょうか?安定しているけど嫌々やる仕事が刈り入れる物なのでしょうか?そのために、子ども時代の友情思い出を刈り入れることを放棄させるのでしょうか?


 子どもの時には、子どもの時にしか刈り入れられない物があります。刈り入れを先延ばしにはできないのです。常に刈り入れれば良いのです。また、刈り入れは、同時に種まきにもなるように刈るべきだと思います。


 BASHARの言うように「ワクワクする」ことをやり続けることは、刈り入れと種まきを同時にやっていることになるのだと思います。分かりやすい例を上げます。


 私のもう一人の子どもはアニメが好きです。パソコンも好きです。パソコン等は分かる範囲で何でも教えていますし、やらせてもいます。その子どもに先日twittbotの使い方を教わりました。twitterの部分では私を超えました。まあ、私はtwitterを使わないのですが・・・


 娘は、刈り入れをしながら、種を蒔いていたのです。それですので、自ら自助的に成長しているのです。


 よい教師とは、弟子を沢山持っている教師ではない。よい教師を生み出す教師が最もよい教師である・・・というような言葉があると思います。親は、子どもが自らを成長させられるように教育することが必要なのだと思います。決して、親の自己満足を満たすために、教育するべきではありません。


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 2011/08/08(月)


 8月2日に、アメリカはデフォルトしませんでしたが・・・



 8月2日に、アメリカはデフォルトしませんでしたが、危篤状態であることには違いありません。何とか、張り子の虎本物に見せようとして、現世界の支配者がうごめいていますが、どうにもならないでしょう。


 遅かれ早かれ、現在の金融資本主義は崩壊します。間違いないです。しかし、心配する必要はありません。元々、私たちは物質的に失うものなど持っていないのですから。


 この世の富める人達は、自分たちのお金や債権が、本当のになってしまうのを恐れています。ですが、私たちは、元々持っていないので気にする必要はありません。


 今までの資本主義は、金融資本主義でした。投機家というものに古来の資本主義が食い物にされてきたのが、現在崩壊しつつある金融資本主義です。


 物を作らず、金を右から左に動かすだけで、お金を生み出すようなシステムは、元々虚構です。物を生み出し物と交換するのが本来の資本主義です。ですが、本体、人間が取るべき主義は、資本主義ではないと思います。共産主義でもありません。共産主義も軍産複合体が利益を生み出すために生み出された物だと思います。


 本来、人間が取るべき主義は・・・そーですねー、ジン本主義とでも言えば良いでしょうか? ジンとはを意味します。


 人間は神であり、神が人間であるお互いが神であるため、お互いを尊重しあいましょう!というようなものを信条とする主義です。神という言葉を使っていますが、宗教を超えている考え方です。


 金融資本主義が崩壊していますが、コミュニタリアニズム的既存宗教も崩壊するでしょう。コミュニタリアニズムとは、あのサンデル教授が信奉する考え方です。お互いの違いを強調し、他者を正義の御旗のもと殲滅するという主義です。悪意を持った説明ですが・・・。ちゃんとした説明を読みたい方は、wikiでも見てください。


 アメリカは正義の名の元、他国に突然踏み込み、石油や麻薬を根こそぎ奪ってきました(麻薬は奪って自国で売りさばいています)。サンデルがNHKで取り上げられたのも、justice(正義)を訴え、更なる侵略に進もうと日本を誘導する目的があったのだと思います。まあ、私もそれにはめられて安田講堂まで行ってしまいましたが・・・


 アメリカもキリスト教も、正義や救いを掲げ、謀略の限りを尽くしてきました。それが崩壊するのが、なのだと思います。全てが新しくなるのです。私たちは変容するのでしょう。


 サナギから蝶へと変容する時を迎えているため、死んだように見える世界状況が展開されているのでしょう。多くの人は、既存のシステムにしがみつこうとしていますが、やめた方が良いです。全てはおままごとだったのです。おままごとで使っていたお金や役割は、チャラになります。おままごとの家でなく、本来の家に帰るときが近づいて来ているのです。


 本来の家への帰り道は分かっています。自分の心の声に耳を傾ければ良いだけです。愛を与え、愛を受け取れば、家へ着けます。まずは、自分を愛する事から始め、家族を愛していってください。


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 2011/08/02(火)


 J・C・ガブリエル(旧エハン・デラヴィ)さんのセミナーに行ってきました!



 この間の日曜日にJ・C・ガブリエルさんのセミナーに行ってきました。J・C・ガブリエルさんと言ってもピンと来ない方もいらっしゃると思います。


 エハン・デラヴィさんと言えば、もう少しピンとくる方が増えるかもしれませんが。


 エハン・デラヴィさんは意識研究家であり2012年博士です。もう、25年位研究なさっています。


 私も、彼を知ったのはちょうど昨年の今頃ですが、それからはいっぱい彼の本を読みました。ネット番組も試聴しています。


 今回の彼のセミナーの目的は天使になるです。


 たぶん、このタイトルだけで99%の人が「バッカじゃないの!」「病院いったら?」と言うでしょうが、150人位の人が集まっていました。


 こんなタイトルのセミナーでしたが、来ていた人の殆どの人が真剣でした。もちろん私も真剣です。


 結論から言えば、「(天使に)なると言えばなる」というものだと思います。


 「何だ詐欺じゃん」


と普通の人は思うのでしょうが、集まっている人(自分を含む)は皆、普通ではないのでこんな風には思わなかったと思います。


 セミナーで唱えたアファメーションである「私は変容の天使です。」を真剣に受け止めていると思います。


 量子力学では「観測者」の存在が非常に重要になります。量子力学的に考えるならば、観測者の数だけ宇宙が存在することになります。


 それですので、私が天使である宇宙も存在しているはずです。ただ、天使の問題は、哲学で言うところの認識論に収まる話ではなく、もっと実存的だと思いますが、この辺のところのお話をwebページで書いても無理があるので避けます。


 意識レベルという言葉を聞いたことはあるでしょうか?スピリチュアルの世界では一般的に使われているのですが、「0から始まりイエスや仏陀が1000レベル、昔の日本人が600レベル」といえば、なんとなくおわかり頂けるでしょか?


 とある方法により、意識レベルを測ることができると言われているのですが、その方法を使うと、般若心経が960レベルだとわかるそうです。この値は非常に高く、般若心経は本物だとセミナーの中で言われていました。


 その測定法を使い、とある本を測定したら、990レベルだと出たそうです。その本のタイトルを、J・C・ガブリエルさんは、なかなか教えてくれなかったのですが、焦らした後、その本のタイトルを教えてくれました。その本のタイトルは「奇跡のコース(ACIM)」です。


 びっくらこきました!


 長年読みたいと思い、昨年邦訳が出版され、入手したあの「奇跡のコース」が990とのことでした。


 私は権威主義ではないので、J・C・ガブリエルさんが認めたからありがたいということではなく、傾倒していたあの本が推薦されたということに衝撃を受けました。


 奇跡のコースは非常に読みにくくまだ完読はしていませんが、その本の凄さは知っています。


 その本の中からキーとなる言葉が紹介されました。この部分を胆に入れることができれば、本を読まなくてもいいとおっしゃられていました。その言葉とは


 「実在するもので、存在を脅かされるものはありません。


だそうです。おわかりになります?ここだけでも、哲学等に全く興味のない方は、とっつきにくいと思います。ですが、とても重要ですので、何度か読み返してください。


 この文には続きがあります。


 非実在するものは、存在しません。」


 たぶんピンと来ないと思いますので、簡単な例を述べます。この部分はセミナーで語られてはいません。私が思うところです。


 霊界には地獄に見えるところがあるそうです。しかし、その場所は最初からあったわけではないそうです。霊界に送り込まれて来た人間の想念により自然に出来上がったものだそうです。とりあえず、そう考えてください。


 現生では、地獄があると思われていますが、それは人間が生み出した幻想にすぎません。


 地獄であっても、そこに住み人にとっては、その人の価値観に一番あった世界、すなわち自分にとっての天国と言ってもいいかもしれません。それが、たまたま地獄だったということです。


 元々、人間の幻想から生み出された世界であるため非実在と言えるでしょう。ですが、そんな世界は存在しませんと「奇跡のコース」では言っているのです。


 それが、観測者毎に宇宙が存在するという量子力学の結論でもあります。


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