2011年10月

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 2011/10/27(木)


 周りが悪いとお感じになりますか?周りが変わるべきだと・・・



 周りが悪いとお感じになりますか?周りが変わるべきだと・・・。例えば、「あいつが無能なせいで、俺が苦労するんだよ!なんとかしてほしいよね!」とかです。


 特に意識や能力が高い人は、上のように感じるかも知れません。しかし、周りを変えることはできません。「いや、あいつのために言ってるんだよ!あのままでは、あいつ自身のためにならないんだよ。」とおっしゃるかも知れません。それでも、相手を変えることはできないのです。


 「世界に変化を望むなら、あなたがその変化になれ」


 と言ったのはカンジーです。あなたは自分の意志で変わることができますが、相手を変えることはできません。また、その反応が適切ではないからといって、相手を責めるのも筋違いです。


 本当にあなたが、相手のことを考えているなら、その変わらない相手をそのまま愛せるはずです。「もし、変わってくれたら・・・」とか「愛しているけど・・・」とか条件がついてしまったら、それは既に愛ではないのです。


 愛とは、無条件なのです。条件がついてしまった時点で、それは愛ではなく、単なるあなたのエゴなのです。


 宇宙には引き寄せの法則があると言われています。あなたがとある波動を出していたのなら、その波動に引き寄せられたものが寄ってくると・・・


 先の例で言えば、「あなたが本当に変化していたのなら、周りは変わるはず」なのです。変わらないとしたら、変わっていないからなのです。しかし、あなたの波動が低いという訳ではないかも知れません。


 あなたの波動が高くても、周りの行動は同じかも知れません。しかし、あなた自身が変わったとしたら、相手の行動を受け止めるあなたの意識が変わるはずなのです。これは一種のパラドックスですが、真実だと思います。昨日、バシャールから教わりました。


 私も、周りの意識が低すぎると良く家内に愚痴っていました。そして、自分はどんどん意識が高まっていると・・・。それなのに、周りの状況は変化しないと・・・。


 しかし、変化していないと感じる自分が、変化していないのです。捉え方を変えたなら、周りは変わっている事になります。あなたが、観測したいように、周りは観測されるのです。


 観測という言葉を使ったのは、量子力学の影響です。量子は、波として観測すると波として観測され、粒として観測すると粒として観測される、という事が実験で実証されています。普通の頭では理解できないことですが、これは科学の話であり、真実です。


 同様に、私たちが現状をどのように捉えるかで、現実をその瞬間瞬間、創造しているのだと思います。


 それですので、状況が変わっていないとしても、あなたが観測の仕方を変えたなら、状況は変わっていることになるのだと思います。


 2011/10/25(火)


 人の評価を気にしますか?もししているならやめた方が良いと思います。その方がより良く生きられると思います。



 あなたは、人の評価を気にしますか?もししているなら、やめた方が良いと思います。その方が、あなたらしく生きられることになると思うからです。


 現代は、頭の良し悪しをその人の価値と判断する傾向があります。この部分に関しては多くの方が賛同してくださると思います。しかし、頭が良くても成果が出せなければ意味がありません。


 司法試験を最年少で合格することは、確かにすごいことですが、その人が悪徳裁判官になるのであれば、意味のないことというよりは、迷惑な頭の良さという事になります。


 「ヘビのように賢くあれ」とイエスは聖書の中で述べています。ヘビとは聖書の中で、エバをそそのかした存在としても登場します。この例からも、あまり言い意味でヘビという言葉を扱いません。しかし、ヘビは賢いとイエスは言うのです。その言葉の真意は、エバをそそのかして、堕落させられるほどずる賢いということだと思います。


 このような意味で賢くても何の意味もありません。アメリカでサブプライムローン危機を生み出し、私腹を肥やした人は、金融工学のプロです。非常に頭のいい人達です。しかし、そのような頭の良さが、多くの人を不幸にしています。人を不幸にするような頭の良さは、害になるだけです。


 ですが、現代は頭の良し悪しをその人を図る適切な物差しとしています。受験対策にお金を掛けるのも、その現れの一つです。


 頭の良し悪し以外に、その人の持ち物によって、その人を計るということも良く行われます。計られる側も○○を持っているんだよといって誇ったりします。これも、意味がない事です。ものは、お金を持っていれば、大抵のものは買えます。不正を行って儲けたお金でも、ものは買えます。不正を行って儲けた金で、多くのものを持っていたとしても、これも意味のないことだと思います。


 人によっては、役職にこだわる人もいます。○○会の会長とか○○部長とかいうレッテルに意義を見出してしまう人です。多くの人がこのレッテルにひれ伏してしまうため、こだわる人は、その役職にこだわるのです。例えば、紙飛行機作りのプロという肩書きがあったとしても、多くの人がそれにひれ伏さないため、それに価値を置く人も少ないでしょう。しかし、彼はその道のプロなのです。


 イチローはすごいと言いますが、野球に全く興味も知識もない人にとっては、例えば未開の部族の人に取っては、棒で球を打つのが上手い人なんの意味があるの?という価値判断が成されるでしょう。それより、鹿を取るのが上手い人の方が重宝がられるでしょう。


 このように、人の価値判断は相手が何に価値を置いているかによって変化してしまうものなのです。すなわち、万人に共通の判断基準はないと言えるでしょう。しかし、自分の価値判断は通常一つです。一つに決めかねている人もいると思いますが、それでも優先度は決められると思います。


 それですので、自分の価値判断によって、自分が価値あるものという判断ができるようになることが幸せの基準になると思います。このとき自分の価値判断の中に、他人からの評価を入れてはいけません。自分が、単独で評価できる物に価値を置くべきです。


 結局は、自己満足の範疇で満足することが大切だと思います。その自己満足の内容を、他人が高く評価してくれるかも知れません。しかし、それは他人の仕事なのです。それを気にして、自分の行動を変化させてはいけないと思います。


 2011/10/24(月)


 死んで良い命ってある?それともない?



 カダフィー大佐が死にました。死んだのか・殺されたのかわかりません。


 「カダフィのような悪人は、死んだ方が良かったんだ!」という人もいるでしょう。しかし、本当にそうでしょうか?


 死んで良い命・悪い命を決めるということは、優生学に通じます。すなわち、生きる価値のある命のみ生きるべきであるという思想です。


 優生学は、選民思想にも通じます。選民思想というのは、ユダヤ教がその始まりでしょうか、神が愛したいものだけを愛するというものです。


 この思想は、およそ神らしくありません。神と言うより、そのような考え方をするものは、どちらかと言えば悪魔でしょう。


 あなたが誰かを裁くとき、あなたはこのおよそ神らしくない神と同じ事をしている事になります。すなわち、愛したいものだけを愛し、そうでないものは死んでしまえ!という考え方です。


 私たちの国には、死刑制度が残っています。すなわち、社会として存在すべきでない命を決定し、処分するということです。


 客観という言葉は、社会一般での判断と読み替えることができると思います。と言うことは、私たちは客観的に存在すべきでない命を決定できると言っているのと同じだと思います。


 この考え方は、間違っているということは事実です。もし、正しいと言ってしまうと、私たちのことをゴイムといって駆除しようとしている人達の意見に賛同してしまうことにるからです。


 闇の支配者達は、自分たちが頂点に君臨するワンワールドと構築しようとしています。ワンワールドというと聞こえは良いですが、一部の支配者階級とその他奴隷からなる社会です。これか構築されつつあります。


 この流れには、NOと言わなくてはなりません。アメリカでウォール街のデモが起こっています。1%の富める者に対する、99%の貧しき者の反乱です。NOという声の表れです。今後、この流れは大きくなっていくでしょう。


 しかし、私たちも、彼ら支配者階級を滅ぼそうとしてはなりません。それでは、彼らと同じになってしまいます。彼らさえ愛そうという姿勢が、彼らを消し去る唯一の武器です。愛によって、武装解除をさせるのです。イエスやカンジーがやってきたように。


 イエスやガンジーは全ての命を愛しました。それを目指して私たちも生きていくべきです。死んで良い命などないのです。たとえあなたが殺してやりたいほど憎いと感じたとしても、その思いを手放すことが必要です。


 私たちは、自分たちが「大いなる存在」の一部であることを、なかなか認識できません。もし、それを実感できているなら、誰かを殺したいほど憎むということはないはずです。自分で自分を殺すことになるのですから。


 しかし、それを実感できていないため、私たちは殺意を持つほどの憎む心をもってしまうのでしょう。そのような思いを持ってしまうのは、ほとんど反射ですから、持たないようにするのは不可能に近いです。


 ですが、持ってしまった心を持ち続けないようにすることができれば良いのだと思います。カッとなってしまったとしても、それで暴言を吐いてしまったとしても、後で和解ができれば良いのでしょう。


 自分は短気な方ですので、よく人を裁いてしまいます。しかし、その思いを持ち続けないように色々と工夫しています。やり方は人により様々でしょう。私の場合は、良い音楽を聴きながら、良い本を読むようにしています。すると、心が和んできます。愛猫を抱くことでも気持ちよくなります。


 とにかく、裁かないのがベスト、それが無理なら裁いてもその思いをできるだけ迅速に手放すことが大切だと思います。


 2011/10/20(木)


 あなたは死にたくないですか?



 先日仕事の関係でがんセンターの緩和ケア病棟を視察に行ってきました。緩和ケア病棟というのは、ホスピスと同じものだと思っていましたが、両者は違うものとのことです。


 ホスピスとは、看取り専門の場所であり、入ってくるもので生きて出るものはない場所のようです。それに対し、緩和ケア病棟というのは、在宅看護とリンクした施設であり、介護者の休養のために一時的に入院することもできたりする場所との事です。


 がんは現在、最も主要な死因です。よって、がんセンターは高度な医療機器と優れたスタッフがそろっています。しかし、「それってホントに必要?」って思ってしまいました。


 未開の部落に住む原住民にもがんで亡くなる方はいるでしょうが、死因が何であるかは多分特定されないまま、埋葬されるでしょう。その他の病気と同じに・・・


 近年がんでの死亡率が高くなっていますが、その理由の一つに「早期のがんが発見されるようになった」という事があるそうです。発見されなければ、がんで死ぬことはなかった・・・


 どういう事かと申しますと、それまではがんであることが解らず過ぎていたものも(「そのまま治ってしまうものもある」とのこと)、がんとして診断され、治療がなされ、抗がん剤などの影響で死んでしまうものが増えたためとのことです。


 耐性菌は、抗生物質がなければ発生しません。菌を攻撃するために、より相手が強くなるのです。がんもそれと同じかも知れません。抗がん剤や放射線で攻撃することで、がんは強くなるのかも知れません。


 真偽はわかりませんが、言いたいことは、そうまでして生きながらえることに意味があるのですか?という事です。


 先日行った緩和ケア病棟で、音楽療法がなされていました。音楽療法士によってピアノが弾かれていました。しかし、弾かれていた曲は「シクラメンのかほり」でした。野菜ですら(収穫量が増えるため)モーツァルトを聴かせられるのに?と感じました。


 療法すべきは、がんだけでなく、シクラメンのかほりで癒されてしまう感性でもあると思ってしまいました。シクラメンのかほりは、私にとっては、演歌と同様に不快な音にしかすぎません。


 音楽といっても、ピンからキリまであります。なんでもいいはずがありません。昭和枯れすすきに感銘を受けるような人生感では生きている意味がありません。着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでも意味はありません。それらを歌い上げるものは、音楽ではありません。強いて言えは音苦でしょう。


 音に載せて過去の苦しみを再体験しているのです。ホラーやスプラッタを好むのと同様、悪趣味に過ぎません。


 いつ死んでも幸せですという生き方をしていることが大切だと思うのです。そんな生き方をしていれば、がんにはならないかも知れません。なったとしても、苦痛を和らげる処置をしてもらうだけで、安心して肉体を後にできると思います。


 療法されるべきは、生きながらえたいと思ってしまうその精神にあると思います。



 2011/10/13(木)


 自分を守るということについて考えて見ます。



 自分を守るということについて考えて見ます。とても高次から見ると守るものなど何もないという事になります。


 なぜかと申しますと、「自分と他者とを分けることはできない」「全ては自分のものではないため」という2つの根拠があります。それぞれについて、ご説明したいと思います。


 まず、「自分と他者とを分けることはできない」ですが、イエスの言う己の如く汝の隣人を愛せよを実践していたなら、己と隣人の区別はなくなります。また、ここで言う隣人は単なる周りの人という意味ではなく、をも含みます。


 それですので、自分を攻撃するものも自分になるため、誰かから自分を守るということが論理的に成り立たなくなります。


 その次に、「全ては自分のものではないため」について考えて見ます。これは、仏陀がいったことにですが、全ては無常であり、全ては移ろいゆく借り物という事になります。


 それですので、「誰から守る物など存在しない」という事になります。


 よって、これらから自分を守るということは、高次元の意識の元では意味を成しません。ガンジーは凶弾に倒れるときでも、その銃を撃った人に向かって「合掌し、おおGOD」と言ったそうです。これが、高次の次元の反応だと思います。


 ですが、この次元に至るには、普通の人では無理でしょう。もちろん、それを目指して生きることが大切ですが、現実問題としては、葛藤を生むでしょう。


 今自分は極真空手を習っています。そこでの教えで、「空手に先手なし」という言葉を教わりました。すなわち、「自分から攻撃はしない。攻撃された場合にのみ攻撃する。そのため、先手はない。」ということを教えているのだと思いました。


 武士道では、「刀を抜かない為に修行をする」と言うそうです。これも、同様な事を表しているのでしょう。


 私は、柔術も習っているのですが、ヒクソングレイシーは、「勝つことではなく、負けないことが大切」と教えています。相手を倒そうとするのではなく、自分が怪我をしない範囲で、すなわち負けない範囲で自分を守るとのことだと「ヒクソン 無敗の法則」に書いてありました。


 ヒクソンさんの道場には、「ここでは、紳士さと強さは共存する」と書いてあります。皆、ひたむきに練習に打ち込みますが、相手を痛めつけるという思いは持っていないように感じます。


 武道は、読んで字の如くを歩んで行くものだと思います。己の弱さにのみ克つことを目的として精進するのが武道なのだと思います。


 日常生活で、肉体的な争いに遭遇することはまずないでしょうが、精神的な暴力は日々溢れています。


 誰かを裁くという行為は、精神的な暴力です。まず、自分から誰かを裁くことはやめましょう。空手に先手なしです。しかし、誰かから責められた時には、負けないように自分を守るということが大切です。ヒクソンさんの言うように。


 かつて私は、鬱になりました。他人からの非難や意見をかわすことができず、負けてしまったのでした。精神的に追い込まれてしまう人は、他人の攻撃を受けてしまう人なのでしょう。


 精神的な攻撃に対しても、防御する必要があります。「攻撃は最大の防御」を地で行って、相手をやり込めたとしても、平和は生まれません。怨みを持った相手は、虎視眈々とあなたを再度攻撃する準備を整えることでしょう。


 「馬鹿は相手にしない」といって無視するのは、先ほどよりはましな対応でしょう。当面はこの辺で処理しておくのが良いと思います。


 しかし、そのようにしていると周り中がバカだらけになってしまいます。あなたは孤立することになるでしょう。


 実際、世の中は、目覚めていない人ばかりですので、目覚めている人は孤立しがちだと思います。孤立しても、低次元な波動には同調せず、己を保つことが大切です。相手がどんなに悪い波動であなたを責めてきたとしても、決して同調してはいけないと思います。


 イエスは、自分を迫害する物に対して、「父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているかわからないのです。」と言いました。あなたも、この基準で、相手をゆるし受け容れましょう。まさに、相手は宇宙の真理を知らないのですから。


 自分を守るとは、自分の真理を保持している部分を守る事だと思います。それ以上の防衛は、過剰防衛だと思います。


2011/10/12(水)


愛されるには、まず、自分から愛することを始めなければダメというのは本当でしょうが、愛されることを動機にした時点で、それは愛ではないと思います。



 よく、カリラヤ湖のと死海を例にして愛の秘訣が語られる事があります。この喩えを聞いたことのない方もいらっしゃると思いますので、簡単にご説明します。


 カリラヤ湖も死海もほぼ同じところに位置しています。そのため、水の成分も同じでしょう。しかし、カリラヤ湖は緑あふれる生命の湖ですが、死海は生物が一切いない湖です。


 両者の違いは、水の出入りです。死海は、入ってくる水を一切外に出しません。外に流れ出す川はないのです。


 それに対し、カリラヤ湖はなかれ込んだ水を全て外に出します。すなわち、与えることなく、受けることはないのです。


 自己啓発のセミナー等でよくこの喩えが使われます。愛もお金も同じであると・・・


 お金はどうでもいいですが、愛については疑問符がつきます。すなわち、愛されることを目的に愛するのであれば、それは既にエゴであり、愛ではないという事になるからです。


 愛は、与えたっきり忘れてしまうのが愛だと思うのです。


 今私は猫を飼っています。迷い猫を引き取りました。飼い主に愛されていたと思われましたので、元の飼い主を捜したのですが、見つかりませんでした。そのため、我が家で飼うことになったのです。


 猫を飼ってみて「猫っかわいがり」という言葉がよくわかりました。本当に可愛がっています。愛の一種だと思います。しかし、見返りは期待していません。愛せているだけで満足なのです。これは、優しく実践出来る愛の形でしょうが、紛れもなく愛だと思います。



 2011/10/04(火)


 ネガティブな自分にエネルギーを与えないようにしましょう。



 あなたの中に『ネガティブ』な自分がいることを認識していらっしゃいますか?


 簡単な例を申し上げますと、『人の不幸は蜜の味』とか言う慣用句に『なっとく!』してしまう自分がそれにあたります。


 ここまで酷いものに共感しないとしても、『隣の芝生』に共感してしまう自分も『ネガティブな自分』になります。


 ポジティブな自分であれば、人の不幸が軽くなるように援助をしてあげたり、隣の芝生は綺麗で気持ちいいね!と思ってあげたりできるはずです。


 心を許せる家族がいる人は、ポジティブな気持ちを理解しやすいと思います。しかし、家族がいても『理解してくれない!』という家族しかいない人は、ネガティブな思いを抱いている可能性が高いでしょう。


 ポジティブな関係の中にある家族においては、他の人の幸せも自分の幸せのように感じられるため、喜びは人数倍されます。


 その反対に、重荷は全員が背負ってくれるために、(1/人数)倍になるでしょう。


 このような関係性は、まず自分自身の中に形成されなければならないと思います。この部分はちょっと難しいので、先に家族について話します。


 まず、家族の中でこのような関係を形成しましょう。夫や妻や子どものせいにせず、全てを共有しましょう。ポジティブな家族であれば『あんたが悪いのよ!』というような発言は生まれないはずです。『あなたの為に言ってあげてるのよ!』もないはずです。


 そのためには、あなたがネガティブなものから解放される必要があります。過去の出来事に恨みがあったり、未来に対して不安があったりすると、ネガティブな自分にエネルギーを与えることになってしまいます。


 まずは、あなたのブラウザの「お気に入り」から、ネガティブなサイトを消去しましょう。喩えそれが真実を告げていると思われるのであったとしてもです。放射能を心配してもしょうがありません。心労の方が体に悪いです。


 ネガティブな報道しかしないニュース番組も見ないようにしましょう。批判的なコメンテーターがやっているようなものは特にです。


 朝、感謝することを30個ノートに書くことから始めましょう。そうすることで、ポジティブなエネルギーがあなたにやってくるようになるでしょう。



 2011/10/03(月)


 「思考や感情の前に存在するもの」について



 今、エックハルト・トールさんの『ニューアース』という本を読んでいます。表題の言葉は、今日読んだ部分に出てきたものです。


 「思考や感情の前に存在するもの」


 これってなんだと思います?その答えは、『意識』だそうです。良く考えて頂くと、お分かり頂ける事だと思います。


 目の前の現実を意識が受け止め、それにより思考や感情が生まれるのだと思います。この点については、多くの人にご賛同頂けると思います。


 しかし、この意識が『エゴ』により狂わされているため、人々は苦しみから解放されないのだと、この本では述べられています。


 簡単な例を挙げます。私の職場に『できるいい女』を目指していると傍からも容易に推測できる女性がいます。


 彼女は、自分を高く見せたいため、資格をとり、仕事では上司をやり込め(ただ騒いでいるだけですが・・・)、世話のかかる(と思い込んでいる)後輩を厳しく指導しています。


 動機は全て『自分を高く評価してもらいたい』です。それが露骨にわかるのです。


 『できるいい女』というのは、他者からの評価に他なりません。他者がそのように評価してくれないのであれば、彼女は満足できないのです。そんな信念が、自分を幸福にしてくれるはずがありません。


 エックハルト・トールさんのよれば、『豊かさとは、豊かであると感じてること』だと言っています。これは、真実だと思います。


 しかし、多くの人は何かが欠乏していると思い込み、それを手段を講じて満たすことが幸福だと勘違いしています。


 このような幸福感は更なる欠乏感を生み出します。『もっと・もっと!』と餓鬼になってしまうのです。


 『足る』ということがとても大切だと思います。それも常に『今』感じ続けることが必要です。


 過去の出来事が自分を不幸にしている訳でもなく、未来に実現する事柄が自分を幸福にしてくれるわけでもありません。いまこの瞬間に『幸福』であることが大切なのだと思います。

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