母を亡くした時の短歌

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老い二人倒れし父を見舞う母土日は病室(へや)で一家団欒(2013年2月24日)



昨年の十一月に父が倒れ、二月に入院しました。母は毎日のように父を見舞いましたが、自分は土日のみ・時々自分の家族も一緒にという生活を続けておりました。表面的には大変なのかも知れませんが、毎週のように、一家で団欒の時を持てるというのは幸せなのかも?と思い読んだ歌です。



メニュー見る母の思案は長かれど見つめる吾に平安宿りし(2013年3月2日)


母と二人だけで父を見舞ったときは、近くのファミレスで母とデートを重ねました。母は生涯、質素かつ自己を主張しないという生活をしていましたので、メニューをじっくり見るということをやったことがありませんでした。「多分、今日も同じものなのだろうな?」と思いながら、一生懸命メニューを見る母を見つめました。反抗してきた自分ですが、今は素直になれ、平安の内にそんな母の姿を見ることができました。その時に読んだ歌です。



煙霧舞い春の嵐と共歩み桜の季節と父の快方(2013年3月10日)



黄砂と思っていたものは煙霧でした。煙霧という言葉は、ニュースで初めて知りました。その春の嵐と歩みを共にしていたのが、桜の季節であり、父の快方でした。主治医から、「あと数週間で退院できますよ」といわれていました。その時の気持ちを読んだものです。



一粒を100倍にする授業をば最期の教えと母は成したり(2013年3月13日(享年83歳))


そんな中、母はずっと会いたいと言ってくれていた教え子と会った後、交通事故にあいました。ほぼ即死でした。その教え子と加害者と私の三人は、皆、全体の福祉に関する仕事をしておりました。これは、偶然ではなく、必然だと思います。「好雪片々別処に落ちず」という禅語のように。母は、自分の死を通し、皆が愛を延長していく授業を成したのだと思います。生涯を一教諭として過ごした母の最期の授業だと思いました。その気持ちを読んだものです。



赦すこと赦されたものの恵みなり母の真似して吾は赦さん(2013年3月16日)


母の葬儀は三月十七日に行われました。喪主として代表者挨拶をしたのですが、その中で、事故のきっかけを作った教え子と事故を引き起こした加害者の方を赦す言葉を述べました。それは、母が人を赦すということを私に教えてくれたからです。その真似をして私も赦せる者でありたいと思います。「弱い人は、赦すことが出来ません。赦すとは強さの証なのです。」というガンジーの言葉のように。その思いを読んだ歌です。



事故に遭い桜の前に逝くなれど母の教えを吾は引き継ぐ(2013年3月16日)


母は、桜の咲くころに、退院した父と母の二人で、私の家に泊まることを楽しみにしていたようです。ですが、その思いは実現できないこととなりました。しかし、母はいなくなっても、その教えは私の中に生きています。それを引き継いで生きていこうと思い、読んだ歌です。



先逝かれ戸惑う父と二人きり母の視線で包み抱かん(2013年3月18日)



葬儀の翌日、母の貯金通帳や保険を探しに、父と二人で実家に行きました。葬儀が終わるまで、気丈に振る舞っていた父でしたが、二人だけになると寂しさや悔しさや様々なものを私に吐露しました。「そんなこと今更いってもしようがないでしょ!」と言いたくもなりましたが、こんな時でもあるので、黙って聞くことにしました。その時、母と父の母が私に乗り移ってきたような感じがしました。平安が宿ったのです。その時の気持ちを読んだ歌です。



逝きし母孫の成長案じてか鼓笛の孫にその手振るなり(2013年3月14日)



亡くなった翌日、特別支援学級に通う二女のところに、母が現れたそうです。二女はそのように申しておりました、嬉しそうに。振られている手は見えたそうですが、顔は見えなかったそうです。しかし、おばあちゃんであることは分かったそうです。手を振った後、鳥にのって辺りを回った後、母は去っていったようです。障害を持つ孫のことと父の健康の事が、生前の母の最大の関心事でした。そのことを読んだ歌です。



肉体を脱ぎしも母は共に有りもらいし身体と想いと優しさ(2013年3月24日)



母は肉体を脱ぎ捨てましたが、いなくなったとは感じられません。大海の一滴として生まれましたが、今また、大海の一滴へと戻っていっただけな気がしています。母の想いも経験も、大海の記憶として記録されただけであり、母の意識は残っていると思います。また、そうでなかったとしても、その遺伝子と教えを受けた私と、私のものを受け継ぐ母の孫達に、遺産として受け継がれていくでしょう。それですので、唯物的に考えても母は永遠に存在していると思います。その思いを読んだ歌です。



老婆見て母の姿を思い出し「お元気ですね!」と声かける吾(2013年3月24日)



百円ショップで買い物をしていると、母と同じくらいのおばあさんがいました。ゴミ袋をカートに積め、レジで精算していました。私の前でした。「母と同じくらいだなぁ。お元気そうだなぁ。手伝えることはないかなぁ。」と思っていたら、自然と声をかけていました。普段はそんな事はしないのですが。母を失ってからご老人を見るとみんな母に見えてしまいます。愛おしくなってきます。何か助けてあげたくなります。母がしてくれた最期の授業の成果だと思います。



ひばり鳴くのどけき春に母は無し寂しさ安らぎ共にあり(2013年3月25日)



仕事で現場にいたときに、不器用そうに飛びながら、ひばりが賑やかに鳴いていました。日差しも暖かく「のどかだなぁ」と感じましたが、同時に肉体をもった母にはもうあえないんだなぁとも思い、安らぎと寂しさの入り交じった気持ちがこみ上げてきました。その時の気持ちを読んだ歌です。




誇りしは誇らぬ心ただ一つ誇ればそれも我の角が立つ



辞世の句や歌は、死に逝く人が読むものなのでしょうが、生前の母の生き方を振り返り、私が母の辞世の歌を詠みました。この生き方を生涯生き通したのが母でした。



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