MUSIC

SiteNavigator

a:2833 t:5 y:2

 ヘンデル


 合奏協奏曲(第5、12、10番)



カラヤン60 CD40  2012/03/07


 ヘンデルってやっぱり綺麗だと思う。筆者はマーラーが一番好きだが、ちょっと重い観もある。気軽に音楽に触れあいたい時は、ヘンデルやハイドンも良いと思った。


 ヨハネス・ブラームス


 ドイツ・レクイエム



『カラヤン60からCD24 2012/03/06』


 ブラームスのレクイエムである。レクイエムの日本語訳は『鎮魂歌』であるが、クラッシックでレクイエムといった場合、イエスへの鎮魂歌をさす場合がほとんどである。このブラームスのレクイエムもイエスへのレクイエムである。


 ただ、ブラームスはちょっと変わったクリスチャンである。プロテスタントではあるが、イエスの贖罪に関して、異議を唱えている。その点についての説明は、以前、ブログに書いたものを再掲したい。(以下参照)


 私は、歌詞のついたクラッシックが苦手である。理由は、「なんて歌っているかが気になって曲に集中できない」からである。でも、今回改めてこの曲を聴いて「とてもいい」と感じた。


クリスチャンの正当派の考え方とは
①三位一体。父とイエスと聖霊は一体である。
②人間は、イエスの十字架を信じることによってのみ、神と通じることができる。すなわち、神と人間は全くの別物である。
③救いとは天国で永遠の命を得ることである。
といったようなものです。
ブラームスは、彼が作曲に際して得ていた「インスピレーション」について、ある種の宗教的な瞑想やセミ・トランス状態の中で、意識が消えかかる間際に「創造主」からダイレクトに与えられるものであった言っています。
それは、前時代のバッハやモーツァルトやベートーベンも全く同様であった記録が残されていることを述べた上で、ブラームスは「わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。」(ヨハネ14/10)、「わたしと父とは一つである。」(ヨハネ10/30)の聖句を引用しながら、みずからの心に内在する「神の霊」が作曲を導くことを明らかにしているのです。
これは②と根本的に異なっている考え方であり、キリスト教では異端とされます。しかし、この考え方は、神との対話で語られている内容と同じです。わたしは、神との対話で描かれていることは正しいと考えていますので、ブラームスの考え方にも賛成です。
彼はまた「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3/16)をも否定し、これは福音史家による創作であり、教会が自分たちの組織を維持するため、神と人間の介在者としての立場に固執してきたためと反論しています。
これは「②を元に、③を成すため、教会が必要である」という考え方に真っ向から反対するものです。
また、ルカ伝に記載された「瞬時に天国に導かれた盗賊」(23/39~43)の話がルカ伝以外の福音書にはなくルカによる創作と断定した上で、あの教えが誤った信仰に人々を導く「有害な教理」であると言っています。
【ルカ伝】
23:39 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
23:40 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
23:41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
23:42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
23:43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
すなわち、「最後に悔い改めれば救われる」ということはなく(信仰のみではなく)、善行を積むことが必要だと述べているのです。
当時の社会で、聖書に異議を唱える信仰がまかり通るはずはありません。そのためブラームスはこれらの考え方を自身の没後50年たってから公表するように言っておいたそうです。



 ボブ・マーリー



 ボブ・マーリーの「soulcaptives」を聞きました。最初から、知っていた曲ではなかったのですが、イントロを聞いて、『あれっ、聞いたことある!』と思ったら、NHK教育の朝の番組で使われていたのです!


 その後、調べたら、真心ブラザースが『朝が来た』という曲名でカバーしたものだということを知りました。


 ラスタの時間観や世界観に触れたくて、ボブマーリーを借りたのですが、とてもイイです。


 車で聞いていると、エアコンのスイッチをOFFにし、窓を開けてゆっくりとドライブしたい気分になります。


 シェーンベルグ


 2011/06/30(木)朝



 今日は、シェーンベルグのヴァイオリンコンチェルトを聞きながら出勤しようと思いましたが、途中で挫折しました。


 理由は、「難解で車の中では適さない」です。


 シェーンベルグの作品では、「浄夜」だけが気に入っていたもので、他の物はあまり聞いていません。


 よって、このヴァイオリンコンチェルトも冒険でした。夜、ゆっくりと聞くのであれば大丈夫なのかもしれませんが、運転しながらではちょっと難しい曲でした。


 ちなみに、シェーンベルグは「無調音楽」という音楽の先駆けです。ワーグナーの「トリスタンとイゾルテ」の発展形とも言われています。


 時間ができたら、またチャレンジしてみます。



 チャイコフスキー

 2011/06/16(木)朝

今日は、チャイコの交響曲5番を聞いて通勤しました。

チャイコって感情的ですよね。

悪く言えば音楽的に稚拙と言えるのかもしれませんが、聴いていて気持ちは良いです。

たしか、ベルリンフィルのカラヤンものだったと思います。

 マーラー

 2011/06/16(金)夜

マーラーの交響曲第3番を聴きました。

やっぱり、マーラーはいいね。

CDはサイモン・ラトル&ベルリンフィルです。

低音がすごい!

ティンパニーなんか、テンションが緩みすぎて、デロレロになっているんじゃないの?というくらい、低い音でした。

 2011/06/20(月)朝

今日は交響曲2番「復活」を聴いて出勤しました。2番より3番の方が今は好きです。

 2011/06/22(水)夜

マーラー交響曲第2番「復活」

5楽章の合唱に感動しました。また、厭世主義と言われるマーラーのくせに「歓喜」という印象をこの楽章から受けました。

マーラーで人気があるのは、第1番と第5番だと思いますが、マーラーの良さは、他のものの方が際立っているような気がします。


 ワーグナー

 2011/06/17(金)朝

ワーグナーの序曲集を聴きながら、出勤しました。

「これから行くぞ!」という時は、ワーグナーは良いですね。

目が覚めます。


 2011/06/21(火)朝

序曲「リエンツィ」を聴いてきました。以外と綺麗ですね。



 ブルックナー

 2011/06/21(火)夜

ブルックナーの交響曲第1番を聴きました。

マーラーは、ベートーベンとブルックナーを尊敬していたそうです。

その二人が、交響曲第9番を書いて死んでいるため、マーラーは第9番を書くことを拒否していたそうです。

そのために、第9番にあたる曲に「大地の歌」などという名前を付け、そのジンクスを回避したそうです。

結局、第10番が未完だっため、マーラーも第9番を書いて死んだことになります。

ブルックナーに戻りますが、ブルックナーって綺麗ですよね。

マーラー程の壮麗さはないですが、ブラームスと同時代(だったと思う)とは思えません。


 ブルック


 2011/06/28(月)朝



 五嶋みどりさんのヴァイオリン協奏曲を聴きました。


 ブルックって初めて聞きましたが、良いですね。このCDには一緒にメンデルスゾーンの入っているのですが、そちらはちょっと・・・ってな感じです。



a:2833 t:5 y:2

powered by Quick Homepage Maker 4.79
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional