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余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであつた。(正岡子規)
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 人を赦すべきですが、赦す前に裁かない方が良いです。そうすれば、赦す必要はありませんから・・・ (本文)



 昨日の記事では、話が脱線してしまったので、赦すことに絞って書きます。


 まず、あなたが「crimeの被害者」だった場合、一般的に赦す資格はあなたにあります。犯罪被害者の家族であった場合においても同じです。


 この時、赦して前を向く人と、犯罪者を恨み続ける人とに分かれます。結論から言うと、赦して前を向く方が生産的な人生になります。


 『そんなことをしたら、死んだ家族が浮かばれない!』というご意見が聞こえて来そうですが、実際に、犯罪者を赦すご家族の方もいらっしゃいます。


 NPO活動で紛争地域にボランティアで行っていて、地元の反対勢力に殺された方が以前いました。その方のご両親がインタビューに答えて、次のようなことを言っていました。


 『彼は、信念に従って生きていましたので、悔いはないと思います。彼を息子に持てたことを誇りに思います』


 このような親御さんに育てられたからこそ、お子さんはそのような生き方を選択なされたのだと感じました。


 この犯罪者を赦されたご両親は、息子さんの意志をついで、そのNPO活動に参加すると話されていました。


 その反対に、一生恨み続ける方もいらっしゃいます。それが悪いというのではないですが、恨み続けるということにより、新たに苦しみを生み出すという行為を、その瞬間瞬間に繰り返していることになります。犯罪被害の苦しみを追体験しているのです、何度も何度も・・・。


 あの世の地獄は、初めからあったのではなく、そこに入りたいという人が勝手に入っていると言われています。


 恨み続ける人は、この世に居ながら、あの世の地獄を過ごしているのだと思います。


 次にあなたが、「sinの被害者」であった場合について考えて見ます。ここでのsinは、本来の意味とちょっと違っていて、craimではないがあなたが「悪いことである」というレッテル貼りをしたものを全て含むとします。


 この場合、それが「悪」であるかどうかは、あなたの価値観が判断することとなります。相手の価値観で見たなら、それは「悪」ではないかも知れません。


 このような事は、『単なる価値観の相違』と捉えることが必要です。


 『仕事が遅い!』といってあなたの同僚があなたを裁いたとします。それに対して、あなたが『うるせいタコ!。やることはちゃんとやってるんだから、遅くても良いだろう!』と裁いたとします。


 この場合、悪いのはどちらでしょうか?


 悪い方は、あなたの価値観によって変わります。しかし、赦すことができるのは、裁くという行為を行ったあなただけなのです。


 しかし、彼に対して反感を持ってしまったあなたは、なかなか彼を赦すことができません。また、一端怒りといったエネルギーとして存在してしまったのものは、消し去るのは難しくなります。


 それですので、最初から裁かなければです。このケースで言うならば、『(あなたの価値観で言えば)そのとおりだね~。ごめんね~。もっと頑張って早くなるようにするから。』と答えれば良いのです。


 こうすれば、嫌な気持ちが心に残ることも、赦す必要もなくなります。


 現在問題になっている最大の価値観の相違は、宗教間の価値観の相違です。


 それにより、殺戮や戦争が繰り返されています。宗教の本来の目的からすればずれていますが、宗教指導者だけが悪いわけではありません。


 イエスの教えは本物ですが、それを基に編纂された聖書と設立されたキリスト教は「誤り」です。それを無条件に信じてしまう一般信徒にも問題があります。


 聖書に対し、既存団体に対し、常に自分の心に照らし合わせながら、真贋を判断していく必要があります。さもなければ、指導者の指示により殺戮集団の一人にされてしまう危険性があります。


 もちろん、指導者も悪いのですが、それを盲目的に信じてしまった一般信徒も悪いのです。


 「今の政府は本当のことを言わない」と言って、おこっている方もいらっしゃいます。自分でネットを調べて、原発反対運動にも参加したりもします。


 しかし、反原発運動には、ある政治的な思惑があるということも知る必要があります。


 裏を探っていくとどもまでも裏があります。しかし、知らないものはないのと同じですので、ある程度のところまでわかっていれば、それ以上は調べる必要はありません。


 あなたがより善い生き方が出来さえすれば、必要な情報としては十分です。


 例えば、低放射線被曝の害を心配している人が多いそうです。しかし、それを心配して感じるストレスのほうが、もっと害があります。


 もし、低放射線被曝が体に悪いということが証明できたとしても、あなたは今の生活を変えることはできないと思います。オーストラリアなら安全であると言われても移住は実際問題として不可能でしょう。


 真理を追究することは必要です。しかし、表面的な真理ではなく、形而上学や宇宙進化論までを含めての真理を追求すべきです。


 もし、それができるまであなたの意識が高くなっていれば、福島原発の問題は大した問題ではないことが分かるはずです。


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